「ノストラダムス」の版間の差分

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母方については未解明の部分も多いが、曾祖父はキリスト教徒であったことが明らかになっている。母レニエールもキリスト教徒であったと推測されているので<ref>Leroy (1941) p.32</ref>、ノストラダムスは[[ユダヤ人#定義|ユダヤ人の定義]]には当てはまらない。
 
一部には、彼の一族は表向きキリスト教徒であったにすぎず、ユダヤ教の信仰を捨てていなかったという主張をする者や、彼の一族がユダヤ教の秘儀に通暁していたなどと主張する者たちもいるが、これらは史料的な裏付けを持たない。少なくともノストラダムス本人は、公刊された文献等では王党派[[カトリック教会|カトリック]]信徒の姿勢を示しており、『[[1562年]]向けの暦』も[[ピウス4世 (ローマ教皇)|ピウス4世]]に捧げていた<ref>高田・伊藤 (1999) pp.22-24, 346</ref>。また、秘書だったことがある[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]も、ノストラダムスは生前熱心なカトリック信徒で、それと異なる信仰を強く非難していたと述べていた<ref>Chavigny (1594) p.6</ref>。
 
他方で、[[ルーテル教会|ルター派]]の顧客などと交わしていた私信の中では、[[プロテスタント]]に好意的な姿勢を示していたことが明らかになっている。[[ジェイムズ・ランディ]]のように、カトリック信徒の姿勢は表面的なもので、実際にはプロテスタントだったと見なすものもいるが<ref>ランディ (1999) pp.109-111</ref>、むしろ相手の立場に応じて発言を使い分けていた可能性を指摘する者もいる<ref>高田・伊藤 (1999) pp.22-24、ランディ (1999) p.111 (日本語版監修者[[皆神龍太郎]]のコメント)</ref>。また、かつて[[渡辺一夫]]は、ノストラダムスのキリスト教信仰が、正統や異端に拘泥しない「超異端」の立場であった可能性を示唆していた<ref>渡辺 (1992) pp.131-132, 138, 140</ref>。