「クレイステネス」の版間の差分

オストラシズムの評価を削除。諸説ありクレイステネスの影響だけとは言えないため。
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(オストラシズムの評価を削除。諸説ありクレイステネスの影響だけとは言えないため。)
クレイステネスはアテナイの貴族[[メガクレス]]と、[[シキュオン]]の[[僭主]][[シキュオンのクレイステネス|クレイステネス]]の娘[[アガリステ]]との間の息子である(古代ギリシアでは祖父の名を孫に付けることがしばしばなされていた)。アルクメオン家は[[紀元前510年]]に[[僭主]][[ヒッピアス]]を[[スパルタ]]と組んで追放すると、その後の政治的混乱を収拾してアテナイの実権を握り、民主主義的な改革を推進した。
 
クレイステネスは新たなる行政・軍事上の区分単位として、旧来の血縁による4部族制を廃止し、地縁に基づく[[10部族制]]のデーモス(区)制定及び10部族制デーモスを基礎とした[[五百人評議会]]の設置を行い、[[将軍職 (アテナイ)|将軍職(ストラテゴス)]]を定めるなど[[アテナイ]]民主政の基礎を確立した。また、僭主の出現を阻むためにオストラシズム([[陶片追放]])の制度も創設した。しかし、そのオストラシズムは政敵追放の道具となり、[[ペルシア戦争]]で活躍した[[テミストクレス]]もオストラシズムによって追放された。このシステムによってリーダーの資質を持つ人が追放され、アテナイは[[衆愚政治]]に陥ることとなった。
 
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