「シド・ヴィシャス」の版間の差分

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その後は、セックス・ピストルズの初代ベーシストであるグレン・マトロックや、憧れであった[[ジョニー・サンダース]]らと一時的に組み、ライブを行っている。ただしジョニー・サンダースとのステージでは、同じジャンキーであるジョニー・サンダースからしても、シドのドラッグの悪影響はステージ上にも及んでおり、そのせいでライブパフォーマンスを保てないシドを途中で降板させている。
この事は激しくシドを失意に落とした出来事であると言われている。
1978年に、ジョニー・ロットンと和解し、2人で新たなバンド結成の話を持ちかける。 ジョニー・ロットンも話に乗っていたのだが、[[ナンシー・スパンゲン]]が間に入り、そのバンドのフロントマンはシドじゃないとと譲らず、ジョニーが「じゃあ、おれは何をやるのさ?」と問いかけるとナンシーは「あなたはドラムでもやったらいいわ」と言い、結果的に夢の実現は、ナンシー&ドラッグを断てないシドの為に崩壊し終わっている。1978年9月にニューヨークに渡ったシド&ナンシーは、ナンシーの働きかけにより、マクシズで3回ライブを行う。連日ライブハウスは超満員であったが、シドはドラッグによって立っているのがやっとで、マイクスタンドにしがみついている状態で、時折、ステージ上で倒れこんでしまう。さらには、歌詞を思い出せずに歌詞カードを手に持ち歌わなければならず、ついには1曲もまともに歌う事も叶わず、観客からも冷やかな反応を受ける。3日目のステージでは[[ザ・クラッシュ]]の[[ミック・ジョーンズ]]と共演している。この辺りからシド&ナンシーは死を口にする事が多くなり、ナンシーは自殺をはかったりするようになる。シドはラストライブの後に、ハードドラッグによるオーバードーズ(過剰摂取)により、意識を失い入院する。その為にロックンロール・スウィンドル撮影のリオ行きの飛行機に乗れずに、スティーブ&ポールとは合流せずに不参加と終わる。
1978年9月にニューヨークに渡ったシド&ナンシーは、ナンシーの働きかけにより、マクシズで3回ライブを行う
連日ライブハウスは超満員であったが、シドはドラッグによって立っているのがやっとで、マイクスタンドにしがみついている状態で、時折、ステージ上で倒れこんでしまう。
さらには、歌詞を思い出せずに歌詞カードを手に持ち歌わなければならず、ついには1曲もまともに歌う事も叶わず、観客からも冷やかな反応を受ける。
3日目のステージでは[[ザ・クラッシュ]]の[[ミック・ジョーンズ]]と共演している。
この辺りからシド&ナンシーは死を口にする事が多くなり、ナンシーは自殺をはかったりするようになる。
シドはラストライブの後に、ハードドラッグによるオーバードーズ(過剰摂取)により、意識を失い入院する。
その為にロックンロール・スウィンドル撮影のリオ行きの飛行機に乗れずに、スティーブ&ポールとは合流せずに不参加と終わる。
 
[[1978年]][[10月13日]]には、[[ニューヨーク]]にある[[チェルシーホテル]]の[[バスルーム]]で恋人のナンシー・スパンゲンの死体が発見された。真相は明らかでないが、凶器のナイフ<ref>なお、このナイフは、[[ラモーンズ]]のディー・ディー・ラモーンが[[デッド・ボーイズ]]のスティーヴ・ベイターにあげたものといわれている。その後いかなる経緯でシドに渡ったのかは不明。またこの事件に関してはアラン・パーカー「シド・ヴィシャスの全て VICIOUS―TOO FAST TO LIVE…」(ロッキング・オン社、ISBN 978-4860520335)に詳しい。</ref>がシドの所有物であったことから、麻薬で錯乱したシド自身が刺殺したと言われている。しかし、ナイフは指紋が拭きとられている状態であったり、シドの元に入ったばかりのMY WAYの印税2万ドルが全て無くなっていた
シドはナンシー殺害の時刻には、ツイナールの過剰摂取によるオーバードーズによる昏睡状態となっており、後に医師らにより、服用した量から類推するに5時間は昏睡状態であったといわれている。その間に複数人の部屋への出入りも確認されており、その時にシドが昏睡している事を証言している。シドは昏睡状態から意識を取り戻すと血だらけで死んでいるナンシーを見つけ、ホテルのフロントに連絡している。一説には、ナンシーにドラッグを売っていた男が、ナンシーの死の前日には1杯の酒代をせびっていたにも関わらず、ナンシー殺害の翌日に新品のブーツとレザーパンツ姿でバーに現れ、血のついたシャツを見せびらかしていたという話や(後にこの人物はナンシー殺害をほのめかす発言やナンシーを殺害した場面をVTRに収めており、それを販売して一儲けするよな話をしていたというが真相は明らかになる前に病死している。)他にも二人が自殺を図り、昏睡したシドを死んだと思ったナンシーが自殺したという説もあるが、指紋が拭きとられて置いてあったナイフと、消えた2万ドルの謎とは結びつかない。この時期のシド&ナンシーは互いを殴り罵る激しい喧嘩を繰り返していた。またナンシーは腎臓を病んでおり、その苦痛の激しさから逃れる為にもハードドラッグにすがっていたという。*出典:アラン・パーカー著 ノーワン・イズ・イノセント
しかし、ナイフは指紋が拭きとられている状態であったり、シドの元に入ったばかりのMY WAYの印税2万ドルが全て無くなっていた。
シドはナンシー殺害の時刻には、ツイナールの過剰摂取によるオーバードーズによる昏睡状態となっており、後に医師らにより、服用した量から類推するに5時間は昏睡状態であったといわれている。
その間に複数人の部屋への出入りも確認されており、その時にシドが昏睡している事を証言している。
シドは昏睡状態から意識を取り戻すと血だらけで死んでいるナンシーを見つけ、ホテルのフロントに連絡している。
一説には、ナンシーにドラッグを売っていた男が、ナンシーの死の前日には1杯の酒代をせびっていたにも関わらず、ナンシー殺害の翌日に新品のブーツとレザーパンツ姿でバーに現れ、血のついたシャツを見せびらかしていたという話や(後にこの人物はナンシー殺害をほのめかす発言やナンシーを殺害した場面をVTRに収めており、それを販売して一儲けするよな話をしていたというが真相は明らかになる前に病死している。)
他にも二人が自殺を図り、昏睡したシドを死んだと思ったナンシーが自殺したという説もあるが、指紋が拭きとられて置いてあったナイフと、消えた2万ドルの謎とは結びつかない。
この時期のシド&ナンシーは互いを殴り罵る激しい喧嘩を繰り返していた。
またナンシーは腎臓を病んでおり、その苦痛の激しさから逃れる為にもハードドラッグにすがっていたという。
*出典:アラン・パーカー著 ノーワン・イズ・イノセント
 
シド&ナンシーの暮らしたチェルシーホテルの部屋は、事件後にパンクのロミオとジュリエット神話の崇拝者達の巡礼地となってしまった事に困惑したホテル側により取り壊され、ランドリー室に作り替えられている。
部屋番号も欠番扱いとなり、数字が飛んでいる。
 
警察には逮捕されるものの、レコード会社が多額の金を払い、保釈された。その後も自殺未遂を起こしたり、[[パティ・スミス]]の弟をビール瓶で殴るなどの騒ぎを起こした末、1979年2月2日、遂に麻薬の過剰摂取により死亡した<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000046760 シド・ヴィシャス命日、その人物像と殺人事件の真相]BARKS公式サイト 2009年2月3日</ref>。シドが死に至った直接的な理由は、収監され完全にヘロインが抜けきった体に、高純度のヘロインを収監以前に打っていたのと同じ感覚で大量に摂取した事によるもの。そのヘロインは、その夜、シドに哀願された、彼の母親が渡した物
シドが死に至った直接的な理由は、収監され完全にヘロインが抜けきった体に、高純度のヘロインを収監以前に打っていたのと同じ感覚で大量に摂取した事によるもの。
そのヘロインは、その夜、シドに哀願された、彼の母親が渡した物。
 
死後、シドの革ジャンのポケットから直筆の遺書らしきメモが発見される。