「橋本敦」の版間の差分

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|現職 = 弁護士
|所属政党 = [[日本共産党]]
|称号・勲章 = 参議院永年在職議員<br/>党[[日本共産党#永年党員|永年党員]]
|世襲の有無 = なし
|親族(政治家) =
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|サイトタイトル =
|国旗 = 日本
|職名 = [[国会議員|参議院議員]]
|選挙区 = [[大阪府選挙区]]→[[参議院比例区|比例区]]
|当選回数 = 4回
|就任日 = [[1974年]][[7月8日]]
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|元首職 =
|元首 =
}}'''橋本 敦'''(はしもと あつし、[[1928年]](昭和3年)[[8月23日]] - )は、[[日本]][[政治家]]、[[弁護士]]。[[日本共産党]]所属の元[[参議院議員]]。[[自由法曹団]]所属。
 
== 概要 ==
大阪に生まれた。[[1951年]][[京都大学]][[法学部]]を卒業。[[1957年]]より[[弁護士]]を開業する。[[1974年]]の[[大阪市長]]選挙に[[日本共産党]]推薦で出馬するも、現職の[[大島靖]]に敗れ落選。[[第10回参議院議員通常選挙|同年の参院選]]で[[大阪府選挙区]]で立候補し初当選、以後1時期の落選を挟んで当選4回。
 
[[ロッキード事件]]の調査のために訪米し、共産党国会議員団の代表として疑獄事件追及に関わる。
 
[[1987年]]、[[大韓航空機爆破事件]]を受けて[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の拉致に疑惑を感じ、調査を始める。
 
[[1988年]](昭和63年)3月26日、[[参議院]][[予算委員会]]において日本人拉致問題に関する質問をして[[国家公安委員会委員長]][[梶山静六]]から北朝鮮による関与が濃厚とする[[日本国政府|政府]]答弁を初めて引き出す<ref>[http://www.jcp.or.jp/activ/active60-ratimondai/1988-0326.html 参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋)][[ 日本共産党]] 2015年5月11日閲覧</ref>(失踪問題を国会で初めて取り上げたのは1980年、[[公明党]]の[[和泉照雄]]。北朝鮮拉致問題を国会で初めて取り上げたのは1988年1月の[[民社党]][[民社党#歴代民社党委員長一覧|中央執行委員長]][[塚本三郎]])。拉致被害者の著書などでもこの答弁を引き出した橋本敦の存在は大きい。[[1997年]]、再び拉致問題を参議院[[法務委員会]]で質問する。[[2002年]]、かつての秘書[[兵本達吉]]から「拉致事件の解明を妨害してきた張本人」だと非難されるが橋本はこれに反論した(後述)。
 
参議院議員として4期24年を勤め上げ、1998年の[[第18回参議院議員通常選挙]]に立候補せず議員生活を終える。引退直後に参議院から永年在職表彰を受けた。現在は[[大阪府]]在住で、北大阪総合法律事務所にて弁護士活動をしている。
 
== 兵本達吉による告発の主な内容とそれに対する橋本の反論 ==
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== 関連項目 ==
* [[北朝鮮による日本人拉致問題]]
 
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