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後梁は、唐の弊害だった宦官と門閥貴族を一掃し、首都の移転、農民生活の安定につとめて下級士人に支えられる合理的な革新政権だった。歴史的にも唐を滅ぼし700年続いた[[貴族制]]を終焉させ、しばらく実力を持った武人が横行する時代を招いた。しかし、唐を滅ぼしたとき、晋王[[李克用]]ら唐末の混乱に乗じて地方で自立していた軍閥([[節度使]])が後梁の受禅を認めずに各地で自立したため、[[五代十国時代|五代十国]]の分裂時代が到来した。
後梁
その後の五代の王朝も後梁を正当な王朝と認めず、後世の評判も良くなかった。現在の中国も朱全忠を農民反乱軍の裏切者として高い評価を与えられていない。
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