「1918年米騒動」の版間の差分

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米価の暴騰は一般市民の生活を苦しめ、[[新聞]]が連日、米の価格高騰を知らせ煽った事もあり、社会不安を増大させた。[[寺内正毅]][[内閣総理大臣]]は[[1918年]](大正7年)[[5月]]の[[地方長官会議]]にて国民生活難に関して言及したが、その年の[[予算#予算編成|予算編成]]において、救済事業奨励費はわずか35,000円のみであり、寺内の憂慮を反映した予算編成になっているとはいえなかった。
 
このため、[[警察|警察力]]の増加をもって社会情勢の不安を抑え込む方針がられ、<!--それまで5,300人であった-->[[巡査]]を<!--3,000人-->増員するという措置がられた<ref>[http://www.rakutai.jp/etc/yamashiro/file/124.html 洛南タイムス連載シリーズ『南山城の光芒」』]</ref>。
 
労働者の[[労働基本権#日本における労働基本権|団結権]]すらなかったこの時代、厳しい抑圧と、苦しい生活に喘ぐ一般庶民の怒りの矛先は、次第に高所得者、特に米問屋や商人に向けられるようになっていった。