「高田馬場」の版間の差分

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=== 地名化 ===
1975年に住居表示が実施された際に町名としての「高田馬場」が発足したが、高田馬場駅地名の由来となった史跡の高田馬場は、行政上の高田馬場には含まれない。よって、現在の行政区分は駅名が直接の由来であると考えられる。
 
[[1910年]]、地元の[[鉄道駅]]設置の請願運動により[[山手線]]に駅が開業することになっものの、[[鉄道省|鉄道院]]は駅の所在地名(地元要望案は上戸塚、諏訪森)を採用せず、駅から1km程離れた史跡の高田馬場(たかだのばば)を駅名に採用するして読みを「たか'''だ'''のばば」、後に開業する鉄道2線もこれに倣った。[[1975年]]の[[住居表示]]実施に伴う町名変更の際、新宿区は駅周辺の町名をそれまでの諏訪町、戸塚町一~四丁目などから、駅名と同じ高田馬場」(たかだのばば)に変更して一丁目~四丁目を割り振った。しかし、史跡の高田馬場跡は西早稲田三丁目となったため、町名と史跡の場所が一致しなくなった。
 
=== 読み ===
史跡の高田馬場は慣習的に「たか''''''のばば」と呼ばれ、付近の通称地名もこのように呼ばれていたが、駅名等の浸透により「たか''''''のばば」が一般化している。
ちなみに落語の演目『高田馬場(高田の馬場)』では「たか''''''のばば」、大手[[銀行]]支店名や郵便局名では、[[三菱東京UFJ銀行]]と[[みずほ銀行]]が「たか''''''のばば」、[[三井住友銀行]]と[[郵便局]]が「たか''''''のばば」の呼称を使用している。
 
東京・[[小石川]]に生まれた作家の[[永井荷風]]は日記『[[断腸亭日乗]]』の中で「…秋葉ヶ原に停車場あり。これをアキハバラ駅と呼ぶ。鉄道省の役人には田舎漢多しと見えたり。高田の馬場もタカダと濁りて訓む」と記し<ref>永井荷風「断腸亭日乗」の大正15年(1926年)7月12日の記述</ref>、[[秋葉原駅|秋葉原]]を「あきはばら」、高田馬場を「たかだのばば」と読ませるのは、鉄道省の役人に東京の地名に疎い田舎者が多いからだろうと評している。
 
=== 住居表示実施に伴う町名の変遷 ===