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|没年月日 = [[1921年]][[9月7日]]
|死没地 = {{JPN}} [[山口県]][[佐波郡]][[防府市|防府町]]
|墓地 = 大楽寺([[山口県]][[防府市]]桑山)
|記念碑 =
|住居 =
|補足 =
}}
[[ファイル:Katori Motohiko and Miwako.jpg|thumb|270px|楫取素彦(前列中央)・美和子(向かって右隣)ほか]]
[[ファイル:Mr. and Mrs. Katori statue.jpg|thumb|楫取素彦と美和子の銅像(山口県防府市・[[防府天満宮]])]]
'''楫取 美和子'''(かとり みわこ、[[天保]]14年([[1843年]])<ref name="seinen"/> - [[1921年]]([[大正]]10年)[[9月7日]]<ref>『平成新修旧華族家系大成』上巻 440頁</ref>)は、[[江戸時代]]末期([[幕末]])から大正時代にかけての女性。幕末の思想家・[[吉田松陰]]の妹。松陰門下の[[久坂玄瑞]]に嫁いだが、[[禁門の変]]で久坂が自害して未亡人となる。後に実姉の元夫で[[群馬県知事一覧|群馬県令]]や[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員を歴任した男爵[[楫取素彦]]と再婚してこれを支えた。旧姓名は'''杉 文'''(すぎ ふみ)。
 
*明治30年([[1897年]])、夫・素彦が[[貞宮多喜子内親王]]の御養育主任を命じられる。美和子も貞宮御付となる。
*[[大正]]元年([[1912年]])、夫・素彦が死去。
*大正10年([[1921年]])、[[山口県]][[防府市|防府町]]にて死去。防府の大楽寺に夫・素彦の墓と並んで葬られた。
 
== 子女 ==
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