「近親婚」の版間の差分

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[[パルティア]]史の記録文献においては母と息子の婚姻例も存在し、元々は[[古代ローマ]]の女奴隷であった[[ムサ]]が国王[[フラーテス4世]]との間に[[フラーテス5世]]をもうけた後、息子と謀って夫を殺害し国王となった息子と結婚したと伝えられている。だが、この結婚が一因で周囲に反発されフラーテス5世は廃されたという。
 
古代ペルシャの母子結婚は、[[シャルル・ド・モンテスキュー]]の『[[法の精神]]』でも近親婚の規制は自然法か市民法かという問題の絡みで触れられているが、母親と結婚したのは[[ゾロアスター教]]という理由があったものであり、自然の秩序に基づいた行動とはいえないと論じている。
 
[[イラン]]発祥の宗教ゾロアスター教では、父と娘、母親と息子、兄妹・姉弟間の結婚を[[フヴァエトヴァダタ]]と呼び最大の善行とする<ref>『ゾロアスター教の悪魔払い』([[岡田明憲]]、1984年) 202ページ ISBN 4-892-03082-1</ref>。