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18世紀後半から19世紀初頭にイギリスで、後にクラシック競争と呼ばれる3歳馬限定の5つの競争が誕生した。このうち牡馬が出走できる3つ全てのレース([[2000ギニー]]・[[ダービーステークス]]・[[セントレジャーステークス]])を、1853年に[[ウェストオーストラリアン (競走馬)|ウェストオーストラリアン]]が制覇し、1865年に[[グラディアトゥール]]がこれに続くと、一流の3歳馬はこれらのレースを目指すのが慣例になり<ref name="CP_11-13">『CLASSIC PEDIGREES 1776-2005』p11 - 13</ref>、3競争全てを制覇することは最高の栄誉となった。
三冠(Triple crown)という言葉の登場はこれよりも遅く、19231930年に[[ギャラントフォックス]]がアメリカのクラシック3競争([[ケンタッキーダービー]]、[[プリークネスステークス]]、[[ベルモントステークス]])を指全て制して使われたのが初出とされきに、1930年に[[ギ記者のチャラールズ・ハットントフォックス]](Charles Hatton)が実際にこれらに勝利し、1935年にアメリカの[[オマハ (競走馬)|オマハ新聞]]、1937年に「[[ウデイリーレーシングフォーアドミラルム]]と続けて三冠馬が生まれるにし」で用いたのが、はっきりと判って広く使わいる最初の例とされている<ref>一方、アメリカの新聞「[[ニューヨーク・タイムズ]]」はこれようにり早く、少なっくとも1923年から「三冠(Triple Crown)」という語を使用していったと主張している。<refbr>[http://therail.blogs.nytimes.com/2008/04/24/origins-of-triple-crown/?_r=0 Origins of Triple Crown] [[ニューヨーク・タイムズ]]紙公式ブログ 2008年4月24日付。20152013年11月828日閲覧。</ref>。アメリカで使われ始めたこの言葉は、前述の[[ウェストオーストラリアン]]らのイギリスでの偉業と結び付けられ、イギリスのクラシック競争やそれを模倣する世界各国の競争対しても一般的に使われるようになっていった<ref name="DRF_20120605">[http://www.drf.com/news/triple-crown-familiar-term-around-world デイリーレーシングフォームHP 2012年6月5日付]「Triple Crown familiar term around the world」</ref>。この記事でハットンは前述のウェストオーストラリアンを引き合いに出したことから、三冠という言葉は本家イギリスのクラシック競走や、それを模した各国の競争に対しても一般的に使われるようになっていった。日本の三冠もこれが元になっている。
また、イギリスクラシック競争の残りの2レース([[1000ギニー]]、[[オークス]])は牝馬限定で、これらとセントレジャーを合わせたものを牝馬三冠と呼ぶようになり、これに類似するものも世界中に広まっている。
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