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生涯にわたって哲学書は一冊も書かなかったが、形而上学クラブのメンバーの一人で[[プラグマティズム]]で著名な[[ウィリアム・ジェームズ]]らと親交があった<ref>鶴見、2008、pp105-118</ref>。チョンシー・ライトから影響を受ける。
 
『コモン・ロー』における「法の生命は論理ではなく、経験であった。」({{Lang|en|"The life of the law has not been logic; it has been experience."}})との一言は有名。彼にとって法は、現在及び将来人々を支配するものではなく、その時々の人々によく仕えるための道具である。裁判官は、論理によって法原則を適用して機械的に結論を出しているのではなく、まず結論を出し、その後に適用すべき法原則を見つけ出しているのである。法の生命である経験とは、個人的なものでなく、集団的な一般人のもの、つまり、陪審員のものであって、命題の形をもたない。『法の小道』において、個々の裁判の結果を決めるのは、法ではなく、裁判官たちが法と呼んでいるものである。現に法廷において裁判官たちがなそうとしていことの予測こそ私が法の名において理解しているものであり、それ以上のものではないとの法予測理論を発表した。{{仮リンク|グラント・ギルモア|en|Grant Gilmore}}によれば、[[クリストファー・コロンブス・ラングデル]]と共に{{仮リンク|法形式主義|en|Legal formalism}}を代表する一人ともされるが、経験や行為を重視し、法学を裁判の結果を予測する学問であるととられる見方はまさにプラグマティズムに基づくものであるとされ、[[法社会学|社会学的法学]]の祖ともされる。自らの哲学がプラグマティズムであることを認めたことはなく、自身の哲学を「ベタビリタリアニズムの哲学」(賭けが可能だという信念の哲学)と後年称した。
 
== 脚注 ==
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