「造野宮役」の版間の差分

造野宮役は日本全域ではなく、野宮が設置される[[嵯峨野]]がある[[山城国]]を含む特定の5か国に賦課された。実際の配符・一国平均役の免除は初斎院事所([[初斎院]]は卜定から野宮完成まで斎王が籠る施設)が行っていたが、通例では山城国・近江国が野宮に用いる柴垣を、[[河内国]]が野宮を作る人夫に与える作料米を、[[大和国]]と[[伊賀国]]が野宮を作るための木材を賦課されていた。また、野宮が完成した後も斎宮が実際に伊勢神宮に入るまでの様々な儀式(斎宮群行など)や野宮の運営に関しても必要に応じて一国平均役がかけられていた。
 
[[寛元]]3年([[1245年]])に[[土御門天皇]]皇女[[曦子内親王]]の野宮設置のために造野宮役が行われたのを最後に記録から姿を消す。また、伊勢神宮への斎宮派遣も次の[[後嵯峨天皇]]皇女[[がい子内親王|愷子内親王]]以後は行われておらず、更にその3代後の[[後醍醐天皇]]皇女[[祥子内親王]]が[[建武政権]]の崩壊とともに伊勢神宮に下ることなく野宮を退出したのを最後に斎宮制度が終焉を迎えている(祥子までの3代は、いずれも天皇の交替によって伊勢神宮に下ることなく野宮を退出している)。このため、造野宮役を含めた野宮役もこの動きとともに廃止されたとみられている。
 
== 参考文献 ==
26,600

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