「医療ソーシャルワーカー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目:
'''医療ソーシャルワーカー'''(いりょうソーシャルワーカー、MSW:Medical Social Worker)とは、保健医療分野における[[ソーシャルワーカー]]であり、主に[[病院]]において『[[疾病]]を有する患者等が、地域や家庭において自立した生活を送ることができるよう、[[社会福祉]]の立場から、患者や[[家族]]の抱える心理的・社会的な問題の解決・調整を援助し、社会復帰の促進を図る』専門職を指す。
 
医療ソーシャルワーカーとして勤務するめの資格は無い。『医療ソーシャルワーカー業務指針』が国によって定められ、「社会福祉の立場から専門的援助を行うこと」や「業務の範囲」などが定められている。
医療ソーシャルワーカーとして勤務するための資格は無いが、ほとんどの病院で[[社会福祉士]]を保持することを条件としている。採用が内定しても、「社会福祉士国家試験に不合格の場合内定を取り消す」と明示している病院も少なくない。理由としては、1,診療報酬点数の中に「社会福祉士」であることで請求できるものがあること。 2,病院機能評価機構が実施する評価の中に、専任のソーシャルワーカー配置や専用の相談室の設置などがある が考えられる。また医師をはじめ、看護師、薬剤師、臨床検査技師など国家資格を保持している職種が働く機関において、無資格であることが許されないという情緒的な理由も考えられる。
資格は無いが実質的には社会福祉士を保持することが必要といえよう。
 
また、『医療ソーシャルワーカー業務指針』が国によって定められ、「社会福祉の立場から専門的援助を行うこと」や「業務の範囲」などが定められている。
 
なお、[[社会福祉士]]の資格は医師、弁護士のような[[業務独占]]資格ではなく[[名称独占]]資格であり、これまでは医療保険算定上においても職員の人員規定が無かったので、資格取得者を雇用しても雇用者側が一方的に人件費を費やすのみになり、『非生産部門』と位置づけられて地位も低かったが、昨今では医療保険点数の改訂にて[[後期高齢者退院調整加算]]等が創設され、保険加算のための人員配置基準となり、また[[地域包括支援センター]]においても職員の(主任)[[介護支援専門員]]、[[保健師]]と並んで人員配置基準になっており、資格者を求める傾向または無資格者には資格取得を求める傾向が出てきた。
 
==概要==
20 ⟶ 15行目:
# 経済的問題の解決調整援助
# 地域活動
 
==歴史==
世界的に医療ソーシャルワークが始まったのは[[1895年]]の[[イギリス]]である。[[ロンドン]]のグレイズイン・ロードにあるロイヤル・フリー・ホスピタル(王立施療病院)に、最初のワーカーが配置された。当時COS(慈善組織協会)の総領事であったチャールズ・ロック鄕は、施療を組織的に行うことを考えた。救貧法による施療は、貧困者対策の一つであったが、受診する患者が増加したにもかかわらず、入院できる者はわずかであった。そのため、真に医療が必要な者を選定することが必要になった。そこで、施設への入所の可否を決定する役割を担っていた役人の名称である「'''アーモナー'''(アルモナー)」が病院にも必要とされた。最初に病院に採用されたのは、COSの地区書記をしていたメアリー・スチュアート(Mary Stewart)である。
 
アメリカにおいては、1905年にリチャード・キャボット(Richard C. Cabot)博士が、[[マサチューセッツ総合病院]]に、ガーネット・イザベル・ペルトン(Garnet Isabel Pelton)を採用したのが最初と言われている。彼女は就任8ヶ月あまりで病気で退職したが、その後に採用されたアイーダ・キャノン(Ida M.Cannon)は、理解が得られない中苦労しながら、徐々に病院内にソーシャルワークの機能を認めさせた。キャボット博士は、毎日の診療の中で、患者の生活背景や家族状況、経済的状況などの細かい生活における状況が分からなければ、真に病気の原因を特定し、その患者にあった治療や療養方法を提示できないと考えていた。しかし、医師としての限界を感じ、当時地域において既に活動をしていたソーシャルワーカーを知り、その機能が病院の中においても重要であると感じたのである。
 
日本の医療ソーシャルワーカーの第一号は、[[浅賀ふさ]]といわれている。1929年、アメリカで学んだ浅賀が[[聖路加国際病院]]に勤務したことに始まる。しかし、戦前はなかなか普及せず、戦後になってGHQ主導のもと、1947年保健所法第二条第六項に「医療社会事業員」を置くことが規定された。翌1948年に、モデル保健所であった東京、[[杉並保健所]]に最初の医療社会事業員(いわゆるメディカル・ソーシャルワーカー)として、[[出淵みやこ]]が配置された。1950年には、全国704ヶ所の保健所中150ヶ所に、1951年には240ヶ所に配置された。一方、[[日本赤十字社]]のちに全国社会福祉協議会にて、医療社会事業員長期養成講習会が開催されるようになり、病院等への配置もすすんでいった。
 
なお、誤解されたくないのは医療機関に勤務しているソーシャルーワーカーを『MSW(Medical Social Worker )』と称するのは日本独自の呼称、造語である。仮に医療機関に勤務しているソーシャルーワーカーが外国でI´m MSWと言っても外国の人達には[[社会福祉大学院]]を卒業したソーシャルワーカーだとしか思われないどころか、自ら社会福祉大学院を卒業したと威張っていると勘違いされてしまう。海外では[[社会福祉大学院]]を卒業し、Master(Doctor) of Social Workを取得した者やソーシャルワークプラクティスを専門的に専攻した者を指す場合もある。社会福祉の歴史を特に専攻した者もやはり同じようにMasterになってしまうため、ソーシャルワークプラクティスを専門的に学んだ者に限定されて使用されている場合もある。
 
1953年11月11日、全国の先駆者197名が集まり「[[日本医療社会事業協会]]」が設立された。その後、病院等への配置はさらに進み、現在、厚生労働省による「病院調査」によれば、医療社会事業員はおよそ9千人といわれている。最大の職能団体である(公社)日本医療社会福祉協会の会員は、約4,500名超になっている。
 
当初は、「経済的問題の解決調整援助(医療費や生活費などお金問題)」に関する相談内容が多かったが、現在では、「退院支援(退院する患者への在宅ケア援助や、転院等)」の相談に関する業務比率が高まっている。
 
==問題点==