「燕 (春秋)」の版間の差分

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=== 燕の極盛 ===
十分に力をつけた燕は、斉包囲網を形成し、[[紀元前285年]]/[[紀元前284年]]に楽毅率いる5ヶ国連合軍5050万が斉軍2020万を撃破し、更に楽毅は斉の首都[[臨シ区|臨{{JIS2004フォント|淄}}]]を陥落させ、{{JIS2004フォント|莒}}(キョ)と即墨を除く斉の都市を尽く占領した(この頃、燕は「朝鮮」を更に討って朝鮮半島北部も領有した。また、南部の「真番」を略属させ、所々に要塞を築き官吏を派遣して治めていた)。以後約5年間、燕は現在の河北省・[[遼寧省]]のみならず朝鮮半島と山東半島のほとんどを併合していたことになり、『[[山海経]]』の「鉅燕」(巨大なる燕)、『史記』の「全燕」(完全なる燕)とはこの時の燕の状態をさすとの説もある。
 
一躍、表舞台に躍り出たと思われた燕だが、昭王が死に、子の[[恵王 (燕)|恵王]]が即位すると楽毅を疑って趙に走らせてしまった。[[紀元前280年]]、占領していた斉は楽毅がいなくなると[[田単]]によって取り返され、山東半島の領土は失った(しかし昭王の置いた5郡と朝鮮半島はなお保持していた)。