「エクトル・ベルリオーズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
117行目:
 
===成熟期===
[[1854年]]3月末にドイツへ旅行に行き、4月1日に[[ハノーファー]]を再訪する。ハノーファーでの演奏会をはじめとして、ドイツ各地で行った演奏会は立て続けに成功し、気を良くしたベルリオーズはパリに戻ったのち、以前作曲した『エジプトへの逃避』(H.128)を転用する形として、3部からなるオラトリオ『[[キリストの幼時]]』(H.130,Op.25)を5年がりで完成させた。12月10日に初演されると聴衆から拍手を受け、大成功に終わる。
 
[[1855年]]の4月、長らく初演の機会を得られなかった『テ・デウム』がパリ万博において、ベルリオーズの指揮によって初演された。