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{{基礎情報 国
|略名 = フィンランド
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しかし、独立後の政情は不安定で[[1921年]]にスウェーデンと領土問題で争ったが、[[国際連盟]]の事務次官であった[[新渡戸稲造]]による「新渡戸裁定」で解決をみた([[オーランド諸島]]問題)、さらに[[1939年]]から[[1940年]]の[[ソビエト連邦|ソ連]]との[[冬戦争]]では国土の10分の1(人口と産業密度の高い南東部等)を失った。なお戦前のフィンランドの領土面積は382,801km²であった。[[第二次世界大戦]]([[継続戦争]])ではソ連と対抗するために[[枢軸国]]側に付いて戦い、一時は冬戦争前の領土を回復したが、ソ連軍の反攻によって押し戻され、良く持ちこたえたものの、[[1944年]]にソ連と休戦。休戦の条件として国内駐留ドイツ軍を駆逐するために戦ったにも関わらず([[ラップランド戦争]])、敗戦国として終戦を迎えた。
戦後はソ連の勢力下に置かれ、ソ連の意向により[[マーシャル・プラン]]を受けられず、[[北大西洋条約機構]]にも[[欧州諸共同体|EC]]にも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では[[東側諸国|共産圏]]に近かったが、[[ワルシャワ条約機構]]には加盟しなかった([[ノルディックバランス]])。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。[[ソ連崩壊]]後には[[西側諸国|西側陣営]]に接近し、[[1994年]]には[[欧州連合|EU]]加盟に合意。[[2000年]]には[[ユーロ]]を導入した。
{{Clearleft}}
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{{main|フィンランドの銃規制}}
[[冷戦]]時代には、ソ連製の[[MiG-21]][[戦闘機]]や[[AK-47|AKライフル]]、[[T-54/55]]および[[T-72]]戦車と中立国の[[スウェーデン]]製[[サーブ 35 ドラケン]][[戦闘機]]などを有していた。冷戦終結後は西側からの調達が主となり、アメリカ製[[F/A-18 (航空機)|F-18]][[戦闘機]]、ドイツ製[[レオパルト2]][[戦車]]を装備している。
冷戦期に[[日本]]の[[中曽根康弘|中曽根首相]](当時)が「国防努力を怠ればフィンランドのようになる」と[[フィンランド化]]について言及した発言を国会で行い、当時の駐日フィンランド大使が遺憾の意を表明する事件があった。
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[[File:Population pyramid of Finland 2012.svg|thumb|right|フィンランドの[[人口ピラミッド]](2012)]]
{{main|w:Demographics of Finland}}
特徴的な事柄を挙げるとすれば、男女同権思想がある。生産性の低い土地に住んでいたためか、農業時代から女性も男性と同じくらい働き、発言権を持っていた。フィンランドで[[普通選挙]]が導入されたとき、ヨーロッパ初の[[女性参政権]]も当然のように付属していたのはフィンランドならではである。
また、俗説としてフィンランド人は「恥ずかしがりや」であり、[[サウナ]]の様に集団で集まりやすい場を大切にし、顔を合わせずに会話の出来る電話や携帯電話の普及が速かったと言われる。ヨーロッパで「フィンランド人は無口で、話す時は独特の抑揚のない言語で不機嫌そうにしゃべる」というステレオタイプの印象が元になった。<!--
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=== 言語 ===
使用されている[[言語]]は、[[フィンランド語]]が93.4%、[[スウェーデン語]]が5.9%で、この2言語が[[公用語]]である。[[1919年]]に制定された。[[サーミ人]]は、[[サーミ語]]を使用し、[[1970年代]]にその地位は向上した。[[1999年]]の憲法改正により、準公用語と明記された。同時に[[ロマ人]]その他の[[少数民族]]に対する配慮も加えられている。また、[[ロシア語]]を母語とするロシアからのいわゆる帰還者は最近増加しつつある。[[スウェーデン語]]は、すでにフィンランドに根を下ろしており、少数派とは言え、[[企業]]、
=== 宗教 ===
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2014年のOECDフィンランドレビューでは「世界で最も競争的であり、かつ市民は人生に満足している国の一つである」と報告している{{Sfn|OECD|2014|p=14}}。OECD BetteLife Indexの多軸評価において、フィンランドはすべての点でOECD平均を上回っている{{Sfn|OECD|2014|p=14}}。
OECDの人生満足度(Life Satisfaction)では第6位、
課題としては、他のOECD諸国と同じように人口[[高齢化]]があり{{Sfn|OECD|2014|p=51}}、65歳以上が人口の18.5%を占めている(2012年){{Sfn|OECD|2014|loc=Basic statics of Finland, 2012}}。GDPに占める保健・介護費用も伸び続けており、2000年代は約6%台であったが、2060年には13%に達すると推測されている{{Sfn|OECD|2014|pp=58-60}}。[[医療費]]の約55%は65歳以上人口が占めており、また[[認知症]]患者も増え続けている{{Sfn|OECD|2014|pp=58-60}}。
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{{節stub}}
===
* [[マリメッコ]]は、[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ大統領]]夫人[[ジャクリーン・ケネディ・オナシス|ジャクリーン]]がそのワンピースを着たことでも有名な、ファブリック・テキスタイルメーカー。
* [[イッタラ]]は、ガラス製品をはじめとするデザイン性の高いテーブルウェアの総合メーカー。
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* [[HONKA]]は、世界No.1の[[ログハウス]]メーカー。
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どこの国にも[[地域おこし]]を兼ねた祭り的イベントは数多くあるが、フィンランドは名物やゆかりの行事などを競技化した奇妙な大会をいくつも開催している。
[[ファイル:Estonian Carry style.jpg|right|thumb|奥様運び大会の常勝国[[エストニア]]・スタイル]]
:[[2006年]]と[[2007年]]に[[大地洋輔|ダイノジおおち]]が優勝。[[金剛地武志]]も入賞している。 :優勝者には、奥様の体重(最低49kg以上)と同じ量の[[ビール]]が贈られる。 :「この近代機器によってもたらされるすべてのフラストレーションや失望に返報するのが目的」で開催。優勝者には新しい携帯電話が贈られる。89m飛ばした選手もいる。 : サウナ我慢大会。[[2004年]]に[[笑福亭鶴瓶]]が挑戦。優勝者には[[モロッコ]]の[[アガディール]]で過ごす1週間の旅が贈られる。 :凍結した[[湖]]や[[海]]の表面に穴をあけて行う水泳競技。 :ケミヤルヴィの[[姉妹都市]]である[[北海道]][[胆振支庁]][[壮瞥町]]から紹介された"[[:en:Yukigassen|Yukigassen]]"が国際大会へと発展したもの。 :1時間でどれだけの[[コケモモ]]が摘めるかを競う競技。 :沼地で行う[[サッカー]]大会。同じ場所で冬季には深雪サッカー選手権が行われる。 :水中で[[ジョギング]]を行う競技。 === 世界遺産 ===
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他の欧州諸国とは異なり、フィンランドにおいて[[サッカー]]は最も人気を集めるスポーツではなく、そのため弱小国の一つにすぎなかった。しかし、近年は着実に力をつけており最も直近の北欧選手権では初優勝を果たしている。個人では[[ヤリ・リトマネン]]や[[サミ・ヒーピア]]などがスペイン、イングランドのトップクラブに所属するなどし、近年は欧州でも中堅の地位を堅めつつある。
国民の関心ではサッカーよりも[[アイスホッケー]]が人気である。[[トリノオリンピック]]では[[サク・コイブ]]らの活躍で銀メダルを獲得している。また1995年と2011年の[[アイスホッケー世界選手権|世界選手権]]で優勝している。
[[野球]]をサッカー場や陸上競技場でもできるように改良した[[ペサパッロ]](フィンランド野球)は[[国技]]である。
また、北国なのでウィンタースポーツも盛んである。[[スキー]]では[[冬季オリンピック]]などで多くの選手が活躍。[[スキージャンプ|ジャンプ競技]]では[[マッティ・ニッカネン]]、[[ヤンネ・アホネン]]などの英雄を輩出。[[ノルディックスキー・コンバインド|ノルディックコンバインド]]では[[サンパ・ラユネン]]、[[ハンヌ・マンニネン]]が英雄である。また最近では[[スノーボード]]も人気が出てきた。[[クロスカントリースキー]]や[[スキーオリエンテーリング]]も盛んである。
注目すべきは[[モータースポーツ]]の分野で、[[フォーミュラ1|F1]]では、[[ケケ・ロズベルグ]]、[[J.J.レート]]、[[ミカ・ハッキネン]]、[[ミカ・サロ]]、[[キミ・ライコネン]]、[[ヘイキ・コバライネン]]、[[世界ラリー選手権|WRC]]では、[[アリ・バタネン]]、[[ヘンリ・トイボネン]]、[[ティモ・サロネン]]、[[ユハ・カンクネン]]、[[トミ・マキネン]]、[[マーカス・グロンホルム]]、[[ミッコ・ヒルボネン]]、[[ヤリ=マティ・ラトバラ|ヤリ・マティ・ラトバラ]]などの優れたドライバーを多数輩出しており、世界チャンピオンも少なくない。このように速いドライバーの事を「[[フライング・フィン]]」と呼ぶほどである。このフライング・フィンは、[[陸上競技]]の長距離種目で活躍した[[ハンネス・コーレマイネン]]や[[パーヴォ・ヌルミ]]を称したのが始まりであるが、さまざまなスポーツの選手でこの愛称が使われている。最近では、F1の2007年世界チャンピオンにキミ・ライコネンが輝いた。この様な事から、モータースポーツ界では「優勝したければ、フィン(フィンランド人)を雇え」という格言が存在する。
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