「F-8 (戦闘機)」の版間の差分

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開発は[[1952年]]にアメリカ海軍が超音速[[制空戦闘機]]を要求したことから始まった。この要求に応じたチャンス・ヴォート社は数々の新機軸を盛り込んだ機体を開発した。試作初号機XF8U-1は[[1955年]]3月25日初飛行および超音速飛行に成功し高性能を示したため、海軍に採用されることとなった。直ちに量産が開始され、生産型F8U-1は1955年9月に初飛行している。[[艦上機]]としては世界初の超音速戦闘機である。
 
F-8は当時の陸上機をも凌ぐ高性能を誇り、また信頼性が高く、扱いやすかった。例えば同じエンジンを搭載する[[アメリカ空軍|空軍]]の[[F-100 (戦闘機)|F-100]]戦闘機が最高速度マッハ1.3だったのに対し、本機はマッハ1.7に達した。これは[[エアインテーク]]の上から前方に突き出した機首コーンが偶然にも[[ショックコーン]]の役目を果たし、エンジンの性能を最大限に引き出した事による。B型以降は機首コーンはレーダーを搭載した[[レドーム|レーダードーム]]となり大型化しているが、はからずもショックコーンとしての能力も向上している。
 
特徴としては視界に優れている事が挙げられる。[[操縦席|コックピット]]は視界を確保するため胴体の先端に配置された。エアインテークも機首下面にあり視界を妨げないようにしている。主翼は[[ドッグトゥース (航空)|ドッグトゥース]]が付いた折り畳み式であり、前縁に前縁スラットと後縁内側にフラッペロンを装備している。また、離着艦の際の機首上げ角を抑えるため、前桁に取り付けられた油圧アクチュエータと後桁のピボットによって、高翼配置の主翼の仰角を動かす唯一のシステムを持ち、運用時の安全性を大幅に向上させた。これは視界不良に悩まされたチャンスボート社の前作[[F7U (航空機)|F7Uカットラス]]の反省があったためだが、むしろ過剰装備だったと評されることもある(またカットラスは飛行性能を追求し新機軸を盛り込み過ぎ離着艦性能が極端に悪く、前述の視界の悪さとあいまって着艦時の事故が多発し、同様の問題を抱えた僚機[[F3H (航空機)|F3Hディーモン]]と共に「[[ウィドウ・メーカー|未亡人製造機]]」と称された)。なお後に本機を母体に開発された亜音速[[艦上攻撃機]][[A-7 (航空機)|A-7 コルセアII]]では、主翼[[ハードポイント]](重量強化点、パイロンを取り付けられる場所)追加のため可変仰角装置は省かれている。
 
[[1957年]]から部隊配備が開始され[[1965年]]までに各形式合わせて1,259機生産された。のちにアメリカ海軍の[[空母機動部隊]]の運用方針が変化し、艦載戦闘機にも多用途性が求められるようになった。ジェット戦闘機の実用化以降のアメリカ海軍は、ジェット戦闘機を純戦闘機として、レシプロ戦闘機を[[戦闘爆撃機]]として運用しており、チャンス・ヴォート社は1950年代まで[[F4U (航空機)|F4U]]戦闘機の生産を続行していたのだが、さすがにレシプロ機は性能的に限界に達し、ジェット戦闘機に戦闘爆撃機としての能力が要求されるようになったのである。この趨勢の中、同時期に採用された[[F-11 (戦闘機)|F11F タイガー]]はこの要求に対応出来ずに短命に終わってしまったのとは対照的に、F-8は一定の汎用性も兼ね備えていたため大量に生産された。また離着艦能力に優れていたことにより、正規空母保有国とはいえアメリカ軍に比べて小型の空母しか保有しないフランス海軍においても採用され、電子機器を更新しながらも長きにわたって現役を務めた。