「一撃離脱戦法」の版間の差分

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1943年春から秋にかけて北豪ポートダーウィン上空では、欧州戦線でドイツ軍相手に格闘戦で対抗してきたイギリス軍のスピットファイアが零戦と交戦した。P40、スピットファイアも最高速では零戦に優るが、低速時の運動性、上昇力では負けていると判断し、零戦との格闘戦を禁止し、一撃離脱を採用した。しかし、日本海軍側では[[鈴木実]]少佐が相手のダイブに注意し深追いしないように部下に徹底し、零戦の得意な格闘戦に巻き込んで優勢な戦いをしていた<ref>秦郁彦『実録太平洋戦争』光風社200-208頁</ref>。
 
一撃離脱戦法は目視による[[索敵]]、高度差を生かした加速、銃撃による先制攻撃のためのものであり、現代の戦闘機は全て[[レーダー]]を搭載しており、目視を前提にした死角を突いての攻撃は不可能となっている。レシプロ機の場合は高空からの急降下により最高速度以上に加速することが可能であったが、ジェット戦闘機の場合は機体の強度限界を超える、あるいは[[エアインテーク]]からの空気流入に悪影響をもたらすため、最高速度以上の加速は不可能である(そもそも水平飛行での最高速度すら、エンジン推力でなく、機体の耐用限界で設定されている)。
 
ミサイルやコンピューターの発達によってベトナム戦争以降の空中戦は、視認できない遠距離からの空対空ミサイル攻撃による戦闘が行われた後、格闘戦([[ドッグファイト]])が展開されることが想定されている<ref>菊池征男『航空自衛隊の戦力』学研M文庫265-268頁</ref>。