「桂小米」の版間の差分

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ラジオで[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]の『[[算段の平兵衛]]』や『[[はてなの茶碗]]』を聴いたのをきっかけに、[[鳥取県立米子東高等学校]]卒業後、[[1969年]]4月に米朝に入門、[[桂すずめ]]を名乗る。同年8月の東山安井金比羅会館での「桂米朝落語研究会」にて『[[東の旅]] 発端』で初舞台。[[1974年]]1月1日より「11代目'''桂小米'''」を襲名。
 
===略歴===
 
関西出身者が多い米朝一門だが、小米は鳥取の出身である。これには[[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]]に入門するつもりだったが、鳥取から東京は遠いため両親の反対を受け、関西の米朝へ弟子入りすることになったという理由がある。
 
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また、鳥取から大阪に出て来て体験した数々のカルチャーショックを、落語の[[枕]]に生かしている。実家は農家で、野菜や魚中心の食生活を送り、肉は祭りの日に自宅で飼育している鶏を食べるくらいだった。そのため、入門するまで[[ハンバーグ]]という食べ物を見たことがなく、食卓にのぼったそれを見て馬の糞と勘違いし、米朝をあきれさせたこともある。
 
===米朝との関係===
入門当初は、米朝と顔立ちが似ている点や、従来の弟子入りの際に行う泊り込みのテストも行わずに入門したため、実は米朝の隠し子ではないかと米朝夫人に疑われていた。