「佐藤光留」の版間の差分

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Satokimu (会話 | 投稿記録)
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[[2005年]]1月30日、第2回プロ・アマオープン キャッチレスリングトーナメント100kg未満級に出場。決勝で[[内藤征弥]]に判定勝ちし、優勝を果たした。
 
[[2007年]]11月25日、『格闘王国LIVE2007』で[[プロレスリング・エルドラド|プロレスリングElDorado]]の[[佐藤豪志|豪]]と総合格闘技ルールで対戦し、引き分けに終わる。12月22日、パンクラスで[[ジョシュ・バーネット]]とキャッチレスリングルールで対戦し、[[裸絞|チョークスリーパー]]で一本負け。
 
[[2008年]]3月10日、[[パンクラス|パンクラスism]]から、[[鈴木みのる]]が所属する[[パンクラス#パンクラスMISSION|パンクラスmission]]に移籍。プロレスのリングへの参戦を表明し、5月24日の[[DDTプロレスリング]]の[[ハードヒット]]でデビューした。若手時代にネオブラッドトーナメントで[[バックドロップ]]や[[スパイン・バスター]]を繰り出したこともあり、元々プロレス志向が強かった。
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2010年7月3日、ZST BATTLE HAZARD 04で[[渋谷修身]]の引退ラストマッチで対戦し、ストレートアームバーで一本勝ち<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2010_07/0703_zst_02.htm 【ZST】渋谷修身のラストマッチに前田日明&鈴木みのるも来場!鈴木信達はKO勝利(1)] 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月3日</ref>。
 
2010年7月25日、[[全日本プロレス]]に初出場。『2010 ジュニア・ヘビー級リーグ戦』の開幕戦にて[[大和ヒロシ]]を相手に投げっぱなしジャーマンにより勝利。メイド服を投げ捨てデッド・オア・アライブの試合を体現した。<ref>[http://battle-news.com/battle/2010/07/000170.php ジュニアリーグ戦波乱の開幕の一方、VMの新戦力として登場した鈴木健想が武藤を襲撃!諏訪魔は鈴木に勝利して三冠挑戦権を獲得] バトル・ニュース 2010年7月25日</ref>
 
2010年9月29日、[[紅白プロレス合戦]]にて第2代世界佐藤級王者となる。<ref>[http://battle-news.com/battle/2010/09/000218.php ブードゥーが紅白プロレスを完全制圧!撤退を口にしたとき、その前に立ちふさがったのは......大家健!] バトル・ニュース 2010年9月29日</ref>
 
2010年9月30日、[[中澤マイケル]]とのコンビによる『変態團』が、自主興行である『変態團興行 ~R指定だよ、全員集合~』で一夜限りの復活。[[バラモン兄弟]]を相手に変態的な試合を尽くすも[[バラモン・シュウ]]のゾンビキングにより敗戦。だが興行は大「変態」コールで包まれる大盛況となった。<ref>[http://battle-news.com/battle/2010/09/000219.php 一夜限りの復活を遂げた変態團に超満員の観客から大「変態」コール!飯伏とディーノもローションまみれに...] バトル・ニュース 2010年9月30日</ref>
 
2010年10月7日、DDTプロレスリングがプロレス業界初の試みであるDDT48総選挙を行い、498票を集め2位となった。ちなみに1位の[[男色ディーノ]]とは14票差であった。9月30日に行われた「変態團」興行での実績と[[Ustream]]放送「佐藤光留の愛LOVE寂聴クリニック」での大喜利などによる選挙活動が報われた。目的の1位特典の[[KO-D無差別級王座|KO-D無差別級]]挑戦権は手に入れそこなったが2位入選と意気込みを評価され10月24日に[[飯伏幸太]]とのシングルの機会を与えられこれに勝利、その後のアピールが認められ、11月14日にKO-D無差別級挑戦が決まった。<ref>[http://battle-news.com/battle/2010/10/000226.php DDT48総選挙1位だったディーノが「ワタシが夢を創ります!」とエース宣言!高木がユニオンへの移籍を電撃発表!] バトル・ニュース 2010年10月7日</ref>
 
2010年11月14日、DDT大阪大会にて開催されたKO-D無差別級選手権試合において、王者[[HARASHIMA]]に勝利し、ベルトを獲得するが、11月28日の[[後楽園ホール]]大会にて[[ディック東郷]]に敗れ、ベルトを失った。<ref>[http://battle-news.com/battle/2010/11/000260.php 国内引退まであと半年の東郷がKO-D無差別級王座を奪取し、「みんなの壁になる」と宣言!高木は天龍相手にDDT所属ラストマッチ] バトル・ニュース 2010年11月28日</ref>
 
2011年8月28日、DDT後楽園大会にて師匠である鈴木みのるとシングルで対決。「僕はパンクラスで生まれましたが、育ったのはここDDTのリングです! 僕のホームリングで一騎打ちしてください!」と対戦要求しての試合はゴッチ式[[パイルドライバー]]で鈴木の勝利。鈴木からは「パンクラスにいたときよりよっぽど良くなったじゃねぇか。DDT好きなんだろ?大事にしろよ」と温かい言葉をかけられた後、ガットショットを喰らい投げ捨てられた。<ref>[http://battle-news.com/battle/2011/08/000678.php 若手の領域を超えた石井だったが、KUDOにはあと一歩及ばず!光留も師匠・鈴木に惨敗!タッグ王座を奪取した男色飯伏は"ほもクロZ"を結成!] バトル・ニュース 2011年8月28日</ref>
 
2011年9月29日、DDTプロレスリングがおこなった第2回DDT48総選挙にて、2位の飯伏と169票差をつけての堂々の一位となる。賞金の100万円は「コイツだけには負けたくないって人が選挙中にケガをしました。次に闘うとき、ケガのせいで負けたとか言われたくありません!二度と同じところをケガしてほしくないので、この100万円は返還してその人の治療費に充ててください!」とDDTに返還。その後DDT社長である高木三四郎に「総選挙一位になったご褒美として城をください」と直訴し、DDTのブランドであった「ハードヒット」の権利を譲り受ける。<ref>[http://battle-news.com/battle/2011/09/000731.php 第2回DDT48総選挙1位だった佐藤光留が、"倒したい相手"のために賞金を返還!選抜メンバー入りした大石がDDT入団を直訴] バトル・ニュース 2011年9月29日</ref>
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2012年1月28日、『PANCRASE 2012 PROGRESS TOUR』にて約3年ぶりにパンクラスのリングに復帰。第11代K.O.P.決定1DAYトーナメントに出場するも一慶相手に判定負けで一回戦敗退。<ref>[http://battle-news.com/battle/2012/01/000953.php 光留に勝った一慶をKOし、川村がミドル級1DAYトーナメントを制す!完敗だった近藤と好調キープの山宮、好対照だったベテラン勢] バトル・ニュース 2012年1月28日</ref>
 
2012年3月22日、自身のプロデュース興行であり城となる『ハードヒット 〜月になる男達〜』を開催。「現在進行形のU」として[[田村潔司]]も来場する中行われた本興行にて後輩であり当時パンクラス社長だった川村亮と対戦。満員の観客の中、試合は川村のグラウンドからの掌底連打でレフェリーストップとなる。<ref>[http://battle-news.com/battle/2012/03/001081.php 新生ハードヒットが見せる現在進行形のU!城主・佐藤光留は川村の掌底の嵐に轟沈!マイケルが坂口征夫から執念の1エスケープを奪う!] バトル・ニュース 2012年3月22日</ref>
 
2014年1月、DDTプロレスリングとのレギュラー契約満了。契約満了後DDTには鈴木みのるの参戦時出店するパイルドライバーの売店に現れることもある。