「軍機大臣」の版間の差分

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=== 軍機大臣制度の衰退 ===
[[太平天国の乱]]以降、清国内では戦乱が続き、政治の実権は軍事力を持たない軍機大臣から、[[郷勇]]ら具体的な軍事力を持つ集団へと移っていった。[[1901年]]の[[義和団の乱]]の後、遅ればせながら[[西太后]]も制度改革の必要性を認め、[[1906年]]11月6日([[光緒]]32年9月)の改正で六部と内閣を統合・再編する形で会議政務が設置された。軍機大臣は自動的に「会議政務大臣」に任命されて会議政務に参加したが、かえって軍機処が政治の中心から外れる事になる。また、会議政務処には各部尚書が内閣政務大臣として参加したため、軍機大臣のうち本籍が六部にあった大臣は軍機大臣を辞て会議政務処に参加した。改編時の軍機大臣6名とその異動は下記の通り。
* [[愛新覚羅奕キョウ|慶親王奕劻]] :(外務部総理大臣):留任
* [[瞿鴻禨]] :([[協弁大学士]]):留任