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[[江戸幕府]]ができると、多くの[[大名家]]が取り潰され、職を失った大量の[[浪人]]が溢れた。長嶋礒右衛門という浪人が食うに困った浪人仲間を集めて[[寺社]]の境内や空き地で草芝居や見世物をして生計を立てていたが、非人頭の車善七から手下の生業が邪魔されると苦情が持ち込まれ、[[慶安]]年中(1650年代)、身分を町人に落としたうえ、乞胸稼業においては善七の支配下に入る取り決めがなされた<ref>[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701205.html 『乞胸―江戸の辻芸人』塩見鮮一郎著]BookAshahi.com</ref><ref name="repo2"/>。
 
善七のもと、磯右衛門が乞胸頭になり、町人、または身元の明らかでない者で乞胸を稼業する者には「鑑札」を渡し、一人につき18文つ毎月徴収した。乞胸頭は無許可で大道芸をする者を取り締まり、その世話と管理をし、浅草溜(善七が管理していた[[医療刑務所]]のような施設)の火事の際には囚人の警固もした<ref name="repo2"/>。その後、[[1843年]](天保14年)の[[天保の改革]]で、それまで江戸の各所に住んでいた乞胸も、非人同様、幕府によって一か所に集まって住むように命じられた<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/tkburaku/history/goumune.html 弾左衛門の支配下にあった、江戸の被差別民衆 2-5 乞胸(ごうむね)]部落解放同盟東京都連絡会</ref>。
 
明治4年([[1871年]])の身分制の解放令で乞胸の名称は廃止された。欧米での[[ジャポニスム]]の影響で、乞胸たちの芸も海外で好評を得、開国後の[[明治]]から[[大正]]にかけて芸人たちの渡航が一時盛んになったものの、国内にあってはハレの場から追放されていき、彼らが育んできた日本の伝統的な大道芸は次第にその姿を消していった。