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京極忠高

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== 生涯 ==
高次の[[庶子|庶長子]]として生まれる。[[慶長]]145年([[16091600年]])の[[関が原の戦い]]の際、父の高次は西軍につき忠高を人質として[[大坂城]]へ送ったが、東軍へ裏切り大津城に立てこもった([[大津城の戦い]])。慶長14年([[1609年]])、高次が死去したため、若狭小浜9万2,000石(若狭一国)を相続した。
 
慶長19年(1614年)の[[大坂の陣]]では徳川方として参戦し、冬の陣での講和は、義母の[[常高院]]を仲介として忠高の陣において行われた。また、講和条件の[[大坂城]]の外堀を埋める作業の工事奉行となった。寛永元年([[1624年]])には[[越前国]][[敦賀郡]]が加増された。
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