「遠州七窯」の版間の差分

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'''遠州七窯'''(えんしゅうしちよう・えんしゅうなながま)とは、江戸時代中期の茶人、[[小堀政一]](|小堀遠州]](1579-1647)全国津々浦々の窯場から自分好みの[[茶器窯]]として、[[切型]]など焼い送っ造らせで賞賛した、七つされる[[茶道具]]産地の総称であ窯七ヶ所に対す呼称{{Sfn|村上正名|1983|p=45}}
 
'''遠州七窯'''に言及する最古の文献が江戸時代末期(1854)であり、小堀遠州没後に創業された窯が含まれているため、今日では、小堀遠州が直接に指導したものではなく、後世、彼の好みに応じた窯として遠州に仮託して選定されたものとされている{{Sfn|村上正名|1983|p=45}}。
この遠州のお目にかなうということは、当時としては非常に誉れ高いことであり、これらの産地は一躍、天下に名を轟かせることになった。そのうちの幾つかは、遠州が直接赴いて、茶器を生産している。
 
== 概要 ==
その'''遠州窯'''に言及する最古産地文献『陶器考』([[田内梅軒]]([[田内米三郎|米三郎]]),1854初版)では[[志戸呂焼]](遠江:遠州)、[[膳所焼]](近江)、[[朝日焼]](山城)、[[赤膚焼]](大和)、[[古曽部焼]](摂津)、[[上野焼]](豊前)、[[高取焼]](筑前)、『本邦陶説』ある。(古曽部ではなく、にかわり[[伊賀を入焼]]が挙げられて七窯とす説もある){{Sfn|村上正名|1983|p=45}}

このうち、古曽部焼は大正末に作陶を休止、他の産地も決して規模は大きくなく、このうち経済産業省指定伝統的工芸品に指定されているのは[[上野焼]]だけである。しかし、これらの産地は遠州七窯というだけで知名度があり、その喧伝は今日にも十分通用するものである。
 
== 「遠州七窯」の出典 ==
*[[田内梅軒]]([[田内米三郎|米三郎]])『陶器考』(1854年初版, 京都 真友会,1883年刊)「志戸呂,膳所,上野,高取,朝日,古曽部,赤膚」(第31葉右‐左)
*蜷川式胤『観古図説』(蜷川式胤,1878年)
 
*田内米三郎『陶器考』(京都 真友会,1883年刊)「志戸呂,膳所,上野,高取,朝日,古曽部,赤膚」(第31葉右‐左)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
*村上正名「近世古窯巡礼記2 遠州の七窯(1)志戸呂・古曽部」 (『陶説』363号,1983年6月。pp.45-51)
 
== 関連項目 ==
*[[小堀遠州]]
*[[志戸呂焼]]
*[[膳所焼]]
*[[朝日焼]]
*[[赤膚焼]]
*[[古曽部焼]]
*[[上野焼]]
*[[高取焼]]
*[[伊賀焼]]