「ヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世」の版間の差分

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[[1851年]]、ヘルメスベルガーはウィーン国立音楽大学のヴァイオリン科教授に就任、[[ウィーン楽友協会]]の演奏会の芸術監督及び指揮者、そしてウィーン国立音楽大学の学長に就任した。[[1859年]]にこれらの役職が分離されると、ヘルメスベルガーは大学の学長を務め、演奏会の指揮者は[[ヨハン・ヘルベック]]が担当した。[[1860年]]、彼は宮廷オペラ管弦楽団の[[コンサートマスター]]に就任し、ウィーンの音楽界では他にもさまざまな役職をこなした。教授職からは[[1877年]]に退いたヘルメスベルガーであったが、学長職には没するまで留まった。彼はウィーンで生涯を終えている。
 
ヘルメスベルガーは[[1849年]]に[[{{仮リンク|ヘルメスベルガー四重奏団]]|en|Hellmesberger_Quartet}}を設立しており、同団体には後に第2ヴァイオリンとして息子のヨーゼフ2世が加わっている。彼は[[1887年]]になるとヨーゼフ2世に楽団の統括と首席奏者の座を譲り渡した。
 
== 参考文献 ==
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