「クリストフォロ・カレザーナ」の版間の差分

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== 生涯 ==
カレザーナは[[ヴェネツィア]]に生まれたが、正確な生地は未詳である。ヴェネツィアで[[ピエトロ・アンドレア・ツィアーニ]]([[マルカントニオ・ツィアーニ]]のおじ)の薫陶を受け、10代の終わりに差し掛かると[[ナポリ]]へと赴き、初期の[[メロドラマ]]の上演を行っていたフェビ・アルモニーチ(Febi Armonici)の劇場会社に加わった。その後、[[1667年]]にチャペル・ロイヤルのオルガニスト兼歌手となった彼は、ナポリ有数の孤児院音楽院であった[[ナポリ音楽院#歴代の音楽院|サントノフリオ・ア・ポルタ・カプアーナ音楽院]]の院長に就任、[[1690年]]までこの役職に留まった。[[1699年]]には[[フランチェスコ・プロヴェンツァーレ]]の後任として、サン・ジェナーロ財務省の主任に就任する。カレザーナは1709年にナポリで没するまで、他の多くのナポリの団体に作品を作曲した。彼の門下からは彼の下で[[音楽理論]]を学んだ[[スペイン]]の[[ギタリスト]]、作曲家の[[ガスパル・サンス]]などが輩出している。
 
カレザーナの作品で記憶されるのは[[カンタータ]]、とりわけキリスト降誕祭の時期のための作品や、ときに離れた位置に置かれたアンサンブルを用いた器楽のための[[間奏曲]]である。彼の音楽は今日に至るまで演奏、録音され続けており、このナポリの[[バロック音楽]]作曲家の才能を証明している。