3,313
回編集
UE-PON2600 (会話 | 投稿記録) m (出典に使う文献の年月入れ忘れ) |
編集の要約なし |
||
|}
|}
'''嵯峨野観光線'''(さがのかんこうせん)は、[[京都府]][[京都市]][[右京区]]の[[トロッコ嵯峨駅]]から京都府[[亀岡市]]の[[トロッコ亀岡駅]]までを結ぶ[[嵯峨野観光鉄道]]の[[鉄道路線]]である。けいてつ協會『しられざる鉄道』([[ジェイティービー|JTB]], 1997年)によると日本初の純粋な[[観光]]専用鉄道とされる。
== 概要 ==
[[鉄道の電化|電化]]・[[複線化]]のため、[[1989年]]([[平成]]元年)にルートが変更された[[山陰本線]]の[[嵯峨嵐山駅]] - [[馬堀駅]]間の旧線を活用して、[[1991年]](平成3年)から[[トロッコ列車]]が運行されている
開業のきっかけは、京都府の「旧山陰本線の廃線を京都の新しい[[観光資源]]として活用できないか」という打診だった<ref name="sankei2">[http://www.sankei.com/west/news/150113/wst1501130004-n2.html 外国人観光客の〝ドル箱〟ツアーになった京都・トロッコ列車 USJから流入…2年連続100万人突破の秘訣[2]] - 産経WEST([[産経新聞]])2015年1月13日</ref>。[[1990年]](平成2年)11月に正式に開業が決まり、開業期日が翌年[[1991年]](平成3年)4月に設定され、トロッコ列車の運行は運輸省(現国土交通省)から認可されたが、線路はすっかりさび付き、[[雑草]]は伸び放題で列車を走らせるのが大変な状態から短期間で準備を行うことになった<ref name="sankei2"/>。社員たちは線路や[[枕木]]を取り換え草刈りを行い、客車も木材などを運んでいた[[貨車]]をレトロ風のトロッコ列車に改造したり、当時の社長達が中心になって[[桜]]の[[植樹]]といった環境整備に務めた<ref name="sankei2"/>。
だが、いざ開業してみると、その悲観的な予想は大きく覆った。風光明媚な山陰本線旧線を走るということや、[[嵐山]]・[[嵯峨野]]といった有名観光地がそばにあったこと、[[保津峡#保津川下り|保津川下り]]と周遊できることや、さらに観光客を魅せる沿線作り、何よりユニークな車内放送や案内などを駆使した嵯峨野観光鉄道従業員の努力も相俟って、いつの間にか「嵐山の観光といえばトロッコ列車」といわれるほどメジャーなものとなり、乗客数は創業年で年間20万人程の予想を上回る50万人を記録し、年間(冬期の2か月は休止)100万人程の乗客を集めるようになり、2009年(平成21年)には累計乗客数が1500万人を突破した。近年では外国人団体客の利用も目立つ。▼
当初、年間利用者数は23万人程度と見込まれていた<ref name="sankei2"/>。[[需要予測]]では、それほど乗客はいないか、あっても物珍しさのある開業後数年間だけで、早晩今日のローカル線のような状況になると考えられていた。
▲
[[保津峡]]に沿った風光明媚な区間を走る。車窓からは春には嵯峨野観光鉄道社員が植えた[[サクラ|桜]]、秋には[[紅葉]]が見られる。亀岡への往路に嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車、復路に保津川下りの船と組み合わせて乗る観光客も見られ、そのため春・秋の観光シーズンでも亀岡から嵯峨方向の列車の方が比較的予約しやすい。
すべてトロッコ嵯峨駅 - トロッコ亀岡駅間の折り返し運転で、水曜日(休日・行楽期除く)ならびに冬期(12月30日から2月末日)は運休する。車両関係は営業線内に保守設備を持たず予備のない1編成のみのため、冬期運休期間内に親会社のJR西日本の車両基地へ保守や検査に出されることもある。
[[運賃]]は均一制で[[2014年]]4月
また、トロッコ嵯峨駅・トロッコ嵐山駅・トロッコ亀岡駅での当日発売もあって、先着順で発売されるが、春や紅葉シーズンなどの繁忙期は、平日であってもJRでの前売りだけでほとんどの列車の着席券が売り切れる。トロッコ各駅での当日券は号車指定の立席券も発売されるが、これもシーズン中は早い列車からすぐに売り切れて行くので、シーズン中の当路線の利用に予約は必須である。
|
回編集