「クリスチャン6世 (デンマーク王)」の版間の差分

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後世ではクリスチャン6世は宗教的な統治者として知られている。彼は[[敬虔主義]]に深く帰依し、その治世の間、臣民たちにその教えを広めようとした。この宗教的圧力は彼の個人的魅力の欠如とともに彼をデンマークの[[絶対王政|絶対主義]]の時代で最も人気のない王にしている。後世の歴史家たちはこの像を変えようとしてきた。すなわち彼らは、クリスチャン6世は言われているような偏狭な人物ではなく、勤番で綿密な官僚であるということを強調したのだ。しかし、否定的な印象はその後を続いた。
[[ファイル:Danish flag of mourning.svg|thumb|left|200px|{{FIAV|historical}}1746年、クリスチャン6世の死去までの旗]]
彼の中央の国内の法はいわゆる[[1733年]]の(adscription)法([[デンマーク語]] で''stavnsbånd'')である。これは農民に出身地域にそのままでいることを強いる法律であり、これによって農民を地方貴族と軍の対象にすることができた。この法律の背景の考えは、もしかしたら、一定の数の農民と兵士を保証することだったかもしれないが、それは後世広くデンマークの農民支配の究極として指摘された。したがって、この法律は彼の評判を著しく傷つけた。この法律は[[1788年]]に廃止された。
 
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