「ディアーヌ・ド・ポワチエ」の版間の差分

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RJANKA (会話 | 投稿記録)
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[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の存命中、ディアーヌ・ド・ポワチエは宮廷で王のお気に入り[[アンヌ・ド・ピスルー・デイリー]]と寵を争わねばならなかった。フランソワ1世が1547年に死去すると、ディアーヌはどうにかアンヌを自領に追放することに成功する。
 
ディアーヌは知性、政治的洞察力に優れており、アンリ2世は多くの公式書類をディアーヌに任せ、2人の名を併せて「HenriDiane」と署名することさえ許した。彼女は「玉座の後ろのブレーン」であった。彼女は自信に満ちており、その成熟とアンリ2世への忠誠により、王にとっては宮廷で最も信頼に足る盟友となった。宮廷における彼女の地位を物語るエピソードとして、[[教皇]][[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウロ3世]]が新王妃カトリーヌに「[[:en:Golden Rose|黄金のバラ]]」を贈った際、忘れることなく王の愛妾ディアーヌにも[[真珠]]のネックレスを贈った、というものが挙げられる。
 
アンリ2世の子どもたちはディアーヌの影響下に育ったとされ、またアンリ2世の長男[[フランソワ2世 (フランス王)|フランソワ]]の妃で[[スコットランド]]女王の[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・ステュアート]]も彼女の影響を強く受けたという。