「台湾沖航空戦」の版間の差分

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また、[[T攻撃部隊]]の作戦として予定していた、米機動部隊が停泊して活動が不十分な夜間に奇襲する[[丹作戦]]の実行も不可能になった<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期545-547頁</ref>。
 
アメリカの戦史研究家[[サミュエル・モリソン]]『モリソン戦史』(History of United States Naval Operations in World War II)では、日本軍の空襲を最も激しい規模であると評価しつつ、「わが空母部隊の防御力が、自らを護るのに十二分であることを、六月に続いて再度立証した」と紹介している<ref>柳田邦男『[[零戦燃ゆ]]』5巻P223</ref>。
 
同航空戦中、第一航空艦隊長官[[大西瀧治郎]]中将が新竹で味方の飛行機がバタバタ落とされるのを見て、技術的劣勢を知ったことが神風特攻隊創設理由の一つとする説があるが、副官の[[門司親徳]]によれば大西の見える距離でそのような展開はなかったという<ref>門司親徳『回想の大西滝治郎 第一航空艦隊副官の述懐』光人社25頁</ref>。また、{{要出典|この戦いにおいて在フィリピンの第一航空艦隊(一航艦)は戦力約150機のうち約7割にあたる110機以上を失っており、連合軍艦隊との決戦のためフィリピンに突入してくる連合艦隊の上空直掩という任務を与えられていた一航艦は、この戦闘の結果その任務遂行能力を失い、日本軍の特攻戦術採用理由の一つとなった。|date=2014年1月}}