「鶴見虹子」の版間の差分

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[[2009年]](平成21年)6月、NHK杯個人総合で優勝し、2位の上村美揮とともに世界選手権代表に選ばれた。同年7月に行われた[[体操JAPAN CUP|ジャパンカップ]]では団体で銅メダルを獲得する。個人総合でも4位入賞を果たした。10月、[[ロンドン]]([[イギリス]])で行われた世界選手権の個人総合決勝で銅メダルを獲得、更に種目別の段違い平行棒でも銀メダルを獲得した。日本女子選手による世界選手権での複数メダル獲得は、1966年の[[池田敬子]]以来43年ぶり。高難度化の進んだ今日の体操競技においては、事実上"初"と言える壮挙だった。
 
[[2010年]](平成22年)、全日本選手権で個人総合5連覇、NHK杯で連覇を果たし、3大会連続の世界選手権代表に選出された。[[ロッテルダム]]で行われた本大会では団体総合5位入賞に貢献したが、個人総合では21位と振るわず、前年に続いてのメダル獲得はならなかった。同年11月に[[中華人民共和国|中国]]・[[広州]]で行われた[[2010年アジア競技大会|広州アジア大会]]では、団体総合で銀メダル、女子種目別の段違い平行棒では銅メダルを獲得した。しかし帰国直後の同年12月の全日本団体・種目別は怪我の影響で欠場、朝日生命体操クラブは大会4連覇を逃した<ref>なお、この年の優勝は[[日本体育大学]]である。</ref>。
 
[[2011年]](平成23年)、高校を卒業、同年の全日本選手権で史上初の個人総合6連覇を達成する。同年6月のNHK杯で3連覇を達成し、世界選手権代表候補に選出された。同年7月のジャパンカップでは日本人女子選手として初めての個人総合優勝を果たした。世界選手権では団体でのロンドンオリンピック出場権獲得に貢献した。
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2014年(平成26年)に左足[[アキレス腱]]断裂、[[2015年]](平成27年)にはNHK杯で右足アキレス腱断裂と度重なる怪我に泣かされ、同年[[11月28日]]開幕の全日本団体選手権を最後に現役を引退することを発表した。大学卒業後は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ渡り、コーチを目指すため、指導力および語学力を学ぶという<ref>{{Cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/11/26/kiji/K20151126011578180.html |title= 鶴見 故障重なり引退…北京、ロンドン五輪出場「悔いはない」 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2015-11-26 |accessdate= 2015-11-26 }}</ref>。
 
同年11月29日の全日本団体選手権では段違い平行棒のみ出場。安定した演技を見せ、日本体育大学の男女アベック優勝に貢献し、有終の美を飾った。
 
== 特徴 ==