「7月20日事件」の版間の差分

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午後7時45分頃、反乱派は放送局の放送内容を否定し、発令された命令の実行を改めて指令した。さらに西部方面軍司令官クルーゲ元帥にはベックが直々に連絡し、反乱への参加を呼びかけたが、クルーゲは言を左右にし応諾しなかった。彼は自ら総統大本営のシュティーフ少将に連絡してヒトラー生存を確認。それ以後反乱派と連絡を絶った。午後8時すぎ、[[パリ]]軍政長官[[カール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル]]大将と、シュタウフェンベルクの従兄弟[[ツェーザー・フォン・ホーファッカー]]([[:de:Caesar von Hofacker]])空軍中佐が、クルーゲの元を訪れて説得したが、彼はそれに応ぜず、逆に逃亡・潜伏を薦めている。
 
午後8時10分、反乱派の軍事的最高位ヴィッツレーベン元帥が、国内予備軍司令部に到着するが、司令部の混乱ぶりと指揮する軍部隊が居ない事を知り、シュタウフェンベルクらの不手際を批判する。一方、総統大本営から各軍管区にカイテル元帥から、総統生存とィッツレーベン、ヘプナーからの命令には従わないよう指令が伝わる。各軍管区司令部は、ベルリン放送やカイテルの指令が真実であると認識し、ヴァルキューレ発動を中止。ヒトラーに忠誠を誓った。[[ウィーン]]の第17軍等は、[[帝国大管区|大管区]]指導者、親衛隊関係者を逮捕する動きに出ていたが、すぐに中止している。
 
午後8時50分頃、ヴィッツレーベンはクーデターの失敗を悟り、国内予備軍司令部を出てベルリン郊外の友人の別荘へ行った。午後9時30分頃、ベルリン防衛軍司令官ハーゼ中将が降伏したという知らせが入り、シュタウフェンベルクもさすがに疲労と落胆を隠せなくなった。