「Atari 2600」の版間の差分

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TAT2600 (会話 | 投稿記録)
Pongが移植されていないという記述を訂正
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しかし、1982年にはサードパーティによるゲームソフトの粗製濫造に加えて、[[コレコビジョン]]や[[アルカディア (ゲーム機)|エマーソン・アルカディア]]といった新しいゲーム機や[[コモドール64]]に代表される低価格パソコンとの競争にAtari 2600は晒されることになった。また、売上の増大に生産が追い付いていなかった前年10月にアタリ社が販売代理店に対し翌年分の一括発注を求めた結果、品切れを避けるために販売代理店が水増し発注を行い、その誤った需要予測に基づいて生産を行ったアタリ社は過剰在庫を抱えることとなった。1982年春に発売された『[[パックマン]]』のAtari 2600移植版カートリッジは当時稼働していた本体の数を数百万本も上回る数が生産された<ref>{{cite web|url=http://www.gamasutra.com/view/feature/3551/a_history_of_gaming_platforms_.php?page=5 |title=A History of Gaming Platforms: Atari 2600 Video Computer System/VCS|author=Matt Barton, Bill Loguidice|publisher=Gamasutra|date=2008-2-28|accessdate=2014-05-22|language=英語}}</ref>。クリスマス商戦に向けて発売された『[[E.T. (アタリ2600)|E.T.]]』も売上以上に大量の売れ残りが発生し、翌年には『パックマン』とともにニューメキシコ州アラモゴード市の埋め立て地「[[ビデオゲームの墓場]]」に埋められることとなる<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1983/09/28/business/atari-parts-are-dumped.html |title=Atari Parts Are Dumped |publisher=The New York Times |date=1983-09-28|accessdate=2014-05-22}}</ref>。1982年の第4四半期から翌1983年の第1四半期にかけてアタリの売上は急落。これが発端となり、1985年までにAtari 2600のみならず米国家庭用ゲーム市場そのものが急速に衰退した(いわゆる[[アタリショック]])<ref name="藤田直樹1">{{Cite journal |和書 |author = 藤田直樹 |title = 米国におけるビデオ・ゲーム産業の形成と急激な崩壊 ―現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(1)― |date = 1998-11 |publisher = 京都大學經濟學會 |journal = 經濟論叢 |volume = 162 |number = 5-6 |naid = 120000904860 |pages = 54-71 |ref = harv}}</ref>。
 
[[1984年]]、アタリ社の家庭用ゲーム部門はアタリコープとなり、1986年にAtari 5200の後継機[[Atari 7800]]と共にAtari 2600 Jrと呼ばれる[[廉価版]]を発売した。Atari 2600は業務用作品の移植の試みも多く、[[ローンチタイトル]]とった9本の作品内の半数以上が業務用作品を元としてその中にはポンも含まれていた。その後も『スペースインベーダー』や『[[パックマン]]』、また現在においても家庭用移植が極めて少ない『[[サーカス (ゲーム)|サーカス]]』などの有名ゲームが移植されている中で、意外にも『ポン』はこのハードには移植されていない
 
現在はレトロゲーム愛好家によって自作ゲーム開発キットという形態をとり、専用の[[BASIC]]コンパイラを配布し記録媒体に[[SDメモリーカード]]が使用出来るフラッシュカートリッジが販売されている<ref>[http://kitahei88.dtiblog.com/blog-category-9.html レトロゲーム漫遊記 レトロゲームATARI2800]</ref>。