「春風亭柳枝 (8代目)」の版間の差分

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==来歴・人物==
東京本郷の生まれ。[[音曲師]]である[[柳家枝太郎#4代目|4代目柳家枝太郎]]の子。温厚篤実な性格で、何を言われても「結構です。」と言うので「お結構の勝っちゃん」と呼ばれた。客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、それは平時のときであり、酒が入ると一変。酔うと(酒が入っていない時の物腰の柔らかさとは裏腹に)人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。
 
入門から睦会所属だった。睦会解散後、[[落語協会]]に入会した。([[春風亭小柳枝]]襲名をめぐるいざこざで、日本芸術協会(会長柳橋・三木助師弟)とのわだかまりがあった)。
 
若いころに、当時の人気若手5人で「五大力」という会を結成していた。戦後は自宅に稽古部屋を作って育成に尽力
 
== 略歴 ==
* [[1921年]] - 3月、高等小学校卒業後[[春風亭柳枝 (4代目)|4代目春風亭柳枝]](当時は華柳)に入門、'''枝女太'''(しめた)と名乗る。
* [[1922年]] - 5月、同名で二つ目に昇進。
* [[1923年]] - 1月、睦ノ太郎と改名。