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{{脚注の不足|date=2015年12月3日 (木) 08:18 (UTC)}}
'''止観'''(しかん)とは[[仏教]]の[[瞑想]]のことである。[[サンスクリット語]]から「奢摩他(サマタ)・毘鉢舎那(ビバシャナ)」と[[写]]されることもある。'''禅観'''(ぜんかん)とも。
 
== 概要 ==
{{要出典|範囲=一般的な意味としては「禅」、あるいは[[坐禅]](座って行う瞑想)と同義である。ただし、明確には禅という用語はサンスクリット語の音写である禅那(ゼンナ)を縮めたものであり定(じょう)・静慮と訳され、仏教での位置づけと一般での理解とはずれが存在する。|date=2015年11月}}
 
仏教では瞑想を「止」と「観」の二つに大別する。止(奢摩他、[[上座部仏教]]の[[サマタ瞑想]])とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また観(毘鉢舎那、上座部仏教の[[ヴィパッサナー瞑想]])とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。このように、止は[[禅定]]に当たり、観は[[智慧]]に相当している。「止」だけでなく「観」を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある。
 
止観の語は、特に[[天台宗]]において多用される。[[智ギ|天台智顗]]の『[[天台小止観]]』や『[[摩訶止観]]』といった書物は、坐禅の詳細なマニュアルであり、{{要出典|範囲=天台宗だけでなく[[禅宗]]においても参照される。|date=2015年11月}}
 
==参考文献==