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[[パース]]の言う[[アブダクション]]という仮説形成の操作にも直観作業が用いられている、と考えられている。この場合、経験や知識と前提への理解が無意識に落とし込められるほど強い場合、意識せずとも正しい認識に至ること。
 
に言えば直観を前提して具体的な問題いうもの正しく説明完全否定ていり解決に導くためには多くパースでさえ自ら'''経験'''と'''知識'''、'''理解'''が必要考え方なる直観の能力を使っていたということである。
 
[[アントニオ・ダマシオ]]の[[ソマティック・マーカー仮説]]において説明される、内臓感覚としての情報の展開・操作・認識も直観の一部と言える。
 
直観は[[本能]]とは異なっている。本能は必ずしも経験的な要素を必要としない。直観的な基礎による見解を持つ人間は、その見解に至った理由を即座に完全には説明できないかもしれない。しかしながら、人間は時間をかければ、その直観が有効である理由をより組織化して説明するべく論理の繋がりを構築することで、直観を合理的に説明できることもある。
 
付け加えるならば直観を前提として具体的な問題を正しく説明したり解決に導くためには多くの'''経験'''と'''知識'''、'''理解'''が必要でもある。
 
なお、[[日本語]]の直観(ちょっかん)は、[[仏教用語]]のप्रज्ञा(プラジュニャー、[[般若]])の訳語の一つである直観智に由来する。直観智は分析的な理解である[[分別智]]に対する直接的かつ本質的な理解を指し、無分別智とも呼ばれる。