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*1947年6月 陣幕部屋閉鎖。陣幕親方は[[出羽海部屋]]へ、力士は錦華山の高崎親方が引き取り、小野川に名跡変更(小野錦喜三郎、信夫山治貞)。このときから[[系統別総当たり制]]で出羽海一門に正式にはいり、出羽海・[[春日野部屋]]との対戦がなくなる。
 
こうして、錦華山の小野川親方が部屋を再興し、関脇信夫山治貞、[[海乃山勇]]、小結[[成山明]]を育てた。技能派力士が多かったのが特徴で、栃若時代の名わき役の部屋であった。1965年からの[[部屋別総当たり制]]導入を前に、部屋を閉じ、海乃山をはじめ全員が[[出羽海部屋]]に移籍、小野川部屋の看板は閉じられた。海乃山が引退後小野川を襲名したが、まもなく廃業、名跡は、同じく大阪相撲を祖とする[[三保ヶ関部屋]]所属の大関[[増位山太志郎]]が所有し、その後、横綱[[北の湖敏満]]と名跡を交換し、小野川の名跡は北の湖の所有となったが、[[一代年寄]]となったために、その後は[[北の湖部屋]]の幕内力士だった[[巌雄謙治]]がその後しばらく襲名していた。現在<br />巌雄の[[山響]]取得後再び北の湖所有しておとなり(借株として株を持たない親方が襲名しており、2013年2月現在は現役時代[[藤島部屋]]所属だった[[武州山隆士]]が名乗っている)、その点で大阪の系統を伝えていかたちなった。北の湖逝去後の現在は、遺族が名跡を保管してうこともできる。
 
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