「誉田八幡宮」の版間の差分
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'''誉田八幡宮'''(こんだはちまんぐう)は、[[大阪府]][[羽曳野市]]にある[[神社]]である。旧[[社格]]は[[府社]]。主祭神は[[応神天皇]]で、[[応神天皇陵]]のすぐ南に鎮座する。
== 歴史 ==
社伝
八幡神が[[源氏]]の[[氏神]]とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって保護されたが、[[享徳]]3年([[1454年]])より始まった河内守護・[[畠山氏]]の内輪争いにより社殿・伽藍を焼失し荒廃した。河内国を支配下に置いた[[織田信長]]により、社領をすべて奪われた。
その後、[[豊臣秀吉]]は社領200石を寄進し、社殿を再建した。[[天正]]14年([[1586年]])に社殿が焼失したため、[[豊臣秀頼]]が片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行ったが、拝殿の建造中に[[大坂夏の陣]]・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。
江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。
[[File:Konda-hachimangu01r.jpg|thumb|right|200px|南大門]]
== 文化財 ==
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* 薙刀 無銘大和物・鉄蛭巻薙刀拵(鎌倉時代)
* 伏見天皇宸翰後撰和歌集 巻第廿(鎌倉時代)
== 日の丸神酒 ==
[[正月三が日]]に振舞われる[[神酒]]が[[赤ワイン]]であることでも知られ、白い[[盃]]とのコントラストから「[[日本の国旗|日の丸]]神酒」と呼ばれている。羽曳野市周辺は[[ブドウ|ぶどう]]の生産が盛んで[[ワイン]]の醸造も行われている。
== アクセス ==
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