「相生橋 (東京都)」の版間の差分

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'''相生橋'''(あいおいばし)は、[[隅田川]]にかかる[[橋]]で、[[東京都道463号上野月島線]]([[清澄通り]])を通す。西岸は[[中央区 (東京都)|中央区]]佃二丁目と三丁目を分かち、東岸は[[江東区]]越中島一丁目と二丁目を分かつ。「相生」という名称は、この橋がはじめ長短二橋で構成されていたことから「相生の松」から由来して採られた。
 
[[明治]]25年([[1892年]])に築造された[[月島]]は、工業地区として急速に発展したが、築地や深川からの架橋がなく[[隅田川の渡し|佃の渡し]]と[[隅田川の渡し|月島の渡し]]などの渡し船に頼るしかなかった。特に深川側の川幅は短かったこともあり、東京市は川途中にあった中之島を挟んで長短二本の架橋計画を立てる。
 
それぞれ「相生大橋(147,)」、「相生小橋(52.7m)」、幅7.2mの木橋で、16万9628円の予算で明治36年3月に開通した。後に[[東京都電|市電]]を通す目的から[[大正]]8年8月に10.8,幅に拡幅され大正12年7月には月島まで市電が開通することとなった。