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[[19世紀]]末の不況期である[[1894年]]に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の救世軍サンフランシスコ小隊で、連隊長[[ウィリアム・マッキンタイヤ]]中将の指示により小隊長[[ジョセフ・マクフィー]]大尉が始めた、失業困窮者の救済活動のための、「[[スープ]]鍋を[[三脚]]に吊るしてその中へ街頭募金の投入を依頼するというスタイル」が全世界の救世軍部隊に伝わった。
 
現地各国で伝統的に使われる鍋が上記のスタイルで利用されたので、日本においては「[[和風]]の鉄鍋が三脚に吊るされている」という[[明治|明治時代]]の救世軍が始めた形態が現在にまで伝承されている。
 
日本では[[1906年]]に「慰問かご」という名称で開始された慈善事業が始まりである。これは[[餅]]や[[ミカン]]を入れたかごを貧しい家庭に配ったものである。その後、[[1909年]]に[[山室軍平]]らが日本でもクリスマス・ケトルを開始した。当初は「集金鍋」と称されていたが、[[大正時代]]には「慈善鍋」と呼ばれるようになり、[[1921年]]以降は「社会鍋」の呼称が使用されるようになった<ref>『ときのこえ クリスマス特集号 2007』(救世軍日本本営、2007年12月1日発行)12‐13頁</ref>。