「1972年の野球」の版間の差分

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!タイトル||選手||球団||成績||選手||球団||成績
|-
|[[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手]]||[[堀内恒夫]]||巨人|| ||[[福本豊]]||阪急|| 
|-
|[[最優秀新人 (日本プロ野球)|最優秀新人]]||[[安田猛 (野球)|安田猛]]||ヤクルト|| ||[[加藤初]]||西鉄|| 
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|[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]||[[王貞治]]||巨人||48本||[[長池徳士|長池徳二]]||阪急||41本
|-
|[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]||王貞治||巨人||120点||[[野村克也]]<br />[[大杉勝男]]||南海<br />東映||101点
|-
|[[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]]||[[衣笠祥雄]]||広島||147本||張本勲||東映||169本
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|[[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]||[[柴田勲]]||巨人||45個||福本豊||阪急||106個
|-
|[[最高出塁率 (日本プロ野球)|最多出塁数(セ)<br />最高出塁率(パ)]]||王貞治||巨人||249個||張本勲||東映||.443
|-
|[[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]||安田猛||ヤクルト||2.08||[[清俊彦]]||近鉄||2.36
|-
|[[最多勝利]]||堀内恒夫||巨人||26勝||[[山田久志]]<br />[[金田留広]]||阪急<br />東映||20勝
|-
|[[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]||[[江夏豊]]||阪神||233個||[[鈴木啓示]]||近鉄||180個
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=== 1月 ===
* [[1月16日]] - NPB[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]の[[浜浦徹]]と[[メジャーリーグベースボール|MLB]][[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]の[[フランク・ジョンソン]]との交換トレードが成立。NPBとMLBとの交換トレードは史上初<ref>[{{Cite web |url = http://www.obclub.or.jp/%E6%97%A5%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83%E5%8F%B2/1%E6%9C%8811%E6%97%A5-20%E6%97%A5/ |title = 日本プロ野球史■ 1月11日〜20日]全国野球振興会  |publisher = [[日本プロ野球OBクラブ]]公式サイト |accessdate = 2015-12-10 }}</ref>
 
=== 3月 ===
* [[3月11日]] - 日本プロ野球コミッショナーの[[大濱信泉]]は日本プロ野球の公式記録を[[1936年]][[7月1日]]より開催された「結成記念日本野球選手権」を起点とする事を発表<ref name="cd75">{{Cite book |和書 |editor = [[中日新聞社刊「ドラゴンズ]] 編 |title = 中日ドラゴンズ70年史 |year = 2006 |publisher = [[中日新聞社]] |page = 75ページ |isbn = 4806205141 }}</ref>。
 
=== 4月 ===
* [[4月2日]] - 【MLB】[[ニューヨーク・メッツ]]の監督の[[ギル・ホッジス]]が心臓発作で急死
* [[4月3日]] - プロ野球のオーナー会議が東京・大手町のパレスホテルにて開かれ、二シーズン制の導入といったプロ野球の振興策や、黒い霧事件で永久追放された選手の復権などついて取り上げる<ref>毎日新聞1972年4月4日13面「二シーズン制などを検討 プロ野球オーナー会議」毎日新聞縮刷版1972年4月4日p97</ref>。
* [[4月7日]] - [[第44回選抜高等学校野球大会]]の決勝戦が[[阪神甲子園球場]]で行われ、[[東京都]]の[[日本大学櫻丘高等学校|日大櫻丘高校]]が[[広島県]]の[[広島県立広島商業高等学校|広島商]]に3対1で勝利し、初優勝達成<ref>毎日新聞1972年4月7日夕刊1面「日大桜が丘が優勝 センバツ 兄校破り初陣飾る」毎日新聞縮刷版1972年4月p209</ref>。
* [[4月8日]] - プロ野球がセ・パ同時に開幕<ref>毎日新聞1972年4月8日夕刊10面「プロ野球しめっぽい開幕 無情の雨 たった2試合」毎日新聞縮刷版1972年4月p248</ref>。
* [[4月18日]] - [[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]の[[野村克也]]が大阪球場での対[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]1回戦の3回裏に適時打を放ち、プロ通算1500打点を達成<ref>毎日新聞1972年4月19日13面「南海打線"記録デー"野村一五〇〇打点」毎日新聞縮刷版1972年4月p555</ref>。
* [[4月21日]] - [[阪神タイガース]]の[[選手兼任監督]]の[[村山実]]が指揮権をヘッドコーチの[[金田正泰]]に委譲
* [[4月22日]] - 近鉄の[[鈴木啓示]]が日生球場での対近鉄2回戦の3回表に西岡三四郎から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成<ref>毎日新聞1972年4月23日19面「6連勝ウソみたい 近鉄 鈴木コテンパン、さえぬ1500奪三振」毎日新聞縮刷版1972年4月p693</ref>。
* [[4月27日]] - ヤクルトの[[城戸則文]]が広島球場での対広島2回戦の8回裏に1号本塁打を放ち、プロ通算1000本安打を達成<ref>毎日新聞1972年4月28日17面「ヤクルト猛打 白石に初黒星」毎日新聞縮刷版1972年4月p853</ref>。
* [[4月29日]] - 広島の[[外木場義郎]]が広島球場での対巨人2回戦に先発登板し、ノーヒットノーラン達成を達成<ref>毎日新聞1972年4月30日15面「またまたご披露"外木場特許"ノーヒットノーラン 『完全』含めて3度目 巨人脱帽 沢村以来の快記録」毎日新聞縮刷版1972年4月p915</ref><ref>[{{Cite web |date = 2009-04-11 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09april/KFullNormal20090401180.html |title = 【4月29日】1972年(昭47) 伝説の右腕と2人だけ 外木場義郎3度目の大記録] |work = 日めくりプロ野球 |publisher = スポーツニッポン2009年4月11日配信新聞社 |accessdate = 2015-12-20 }}</ref>
 
=== 5月 ===
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* [[8月8日]] - 広島の[[山本一義]]が神宮球場での対ヤクルト14回戦の9回表に14号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年8月9日13面「山本一が150号」毎日新聞縮刷版1972年8月p247</ref>。
* [[8月14日]] - 広島の[[外木場義郎]]が広島球場での対大洋19回戦の4回表に[[ジョン・シピン]]から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成<ref>毎日新聞1972年8月15日13面「外木場が千三振奪取」毎日新聞縮刷版1972年8月p425</ref>。
* [[8月23日]] - [[第54回全国高等学校野球選手権大会|全国高等学校野球選手権大会]]の決勝戦が行われ、[[大分県]]の[[大分県立津久見高等学校|津久見高校]]が[[山口県]]の[[山口県立柳井高等学校|柳井]]に3対1で勝利し、初優勝達成。
* [[8月19日]] - 東映の[[張本勲]]が平和台球場での対西鉄ダブルヘッダー夜間の20回戦の4回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成<ref>毎日新聞1972年8月20日15面「張本が二千本安打」毎日新聞1972年8月p577</ref>。
* [[8月20日]] - 巨人の[[王貞治]]が後楽園球場での対阪神18回戦の1回裏に30号本塁打を放ち、11年連続30号本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年8月21日15面「王が11年連続30号」毎日新聞1972年8月p597</ref>。
226行目:
* [[8月30日]] - 東映の[[今井務]]が神宮球場での対ロッテ21回戦の10回裏1死満塁の場面で代打に起用され、1号満塁本塁打を放ち、パ・リーグ初の代打サヨナラ満塁本塁打を記録<ref>毎日新聞1972年8月31日16面「パ・リーグ初の離れ業 代打・満塁・サヨナラ 今井(東映)価値ある1号」毎日新聞縮刷版1972年8月p918</ref>。
* [[8月31日]]
** 大洋は、監督の[[別当薫]]が休養し監督代行にヘッドコーチの[[青田昇]]が務めると発表<ref>毎日新聞1972年9月1日14面「別当・大洋監督が休養 優勝の望み消え引責 代行に青田コーチ」毎日新聞1972年9月p14</ref>。
** 大洋の[[松原誠]]が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表に20号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年9月1日14面「松原が150号」毎日新聞縮刷版1972年9月p14</ref>。
 
=== 9月 ===
235行目:
* [[9月20日]] - ロッテの[[有藤通世]]が西京極球場での対近鉄19回戦の6回表に27号本塁打を放ち、プロ通算100号を達成<ref>毎日新聞1972年9月21日17面「有藤が通算100号」毎日新聞縮刷版1972年9月p607</ref>。
* [[9月21日]] - パ・リーグのオーナー懇談会が午後5時より丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、ロッテのオーナーの中村長芳が(1)現状ではセ・パ両リーグの統合は困難(2)パ・リーグとしては現状の2リーグ制を支持し当面はリーグ振興のため努力する、と報告<ref>日本経済新聞1972年9月22日21面「全会一致で二リーグ制維持 パ・オーナー懇談会」日本経済新聞縮刷版1972年9月p747</ref>。
* [[9月24日]] - 大洋監督代行の青田昇が胆石で入院。コーチの[[宮崎剛 (野球)|宮崎剛]]が代行に。
* [[9月26日]] - 阪急が西宮球場での対南海23回戦に6-3と勝利し、2年連続5度目のパ・リーグ優勝<ref>毎日新聞1972年9月27日17面「阪急ゴール 2年連続5度目」毎日新聞縮刷版1972年9月p799</ref>。
* [[9月28日]] - 南海の野村克也が対阪急25回戦の4回表に34号本塁打を放ち、プロ通算550本塁打を達成<ref>日本経済新聞1972年9月29日21面「野村、550ホーマー達成 対阪急戦水谷から 1号から17年目」日本経済新聞縮刷版1972年9月p987</ref>。
* [[9月30日]] - 【MLB】[[ピッツバーグ・パイレーツ]]の[[ロベルト・クレメンテ]]が対ニューヨーク・メッツ戦4回裏に2塁打を放ち、MLB通算3000安打を達成<ref>毎日新聞1972年10月2日15面「栄光の11人目 クレメンテ3000本安打」毎日新聞縮刷版1972年10月p39</ref>。
 
=== 10月 ===
* [[10月4日]] - 西鉄の東尾修は対東映26回戦に先発して敗戦投手となり、シーズン25敗目を喫し、パリーグ最多敗戦記録となる。
* [[10月5日]] - 阪急の福本豊がこの日2盗塁を記録し、MLBの[[モーリー・ウィルス]]のシーズン盗塁記録104を上回る106盗塁を記録<ref>{{Cite book |和書 |editor = 日外アソシエ刊「編集部 編 |title = 日本スポーツ事典トピックス1964-2005」102ペ |year = 2006 |publisher = [[日外アソシエツ]] |page = 102 |isbn = 4816919856 }}</ref>。
* [[10月7日]] - 巨人が対阪神25回戦(甲子園)で5-1と勝利し、8年連続16度目のセ・リーグ優勝が決定。
* [[10月9日]] - 南海の[[野村克也]]が対東映26回戦に出場し、山内一弘の記録を抜いて、通算2236試合出場のプロ野球記録を達成。
* [[10月13日]] - 西鉄の選手会長の[[高木喬]]が福岡市内の球団事務所を訪れ、球団常務の[[古賀豊穂]]に対し「選手の総意」としてチームの存続を訴える<ref>毎日新聞1972年10月14日13面「『ライオンズ残して』首筋寒い・・選手陳情」毎日新聞縮刷版10月p413</ref>。
* [[10月16日]] - 沢村賞に巨人の堀内恒夫が選出される。
* [[10月17日]] - 広島は新監督に別当薫が就任したと発表<ref>毎日新聞1972年10月17面「別当広島監督が正式契約」毎日新聞縮刷版1972年10月p539</ref>。
* [[10月20日]]
** ロッテのオーナーの中村長芳は、12球団オーナー会議終了後に記者団に対して「[[ペプシコーラ]]がパ・リーグの某球団を買収するめどがついた。22日に香港へ飛び最終的な話し合いを行う」と発表。だが午後8時半より赤坂の中村事務所にて2度目の記者会見を行い「夕方にペプシ本社から、球団の買収を断るという連絡がきた」と発表<ref>読売新聞1972年10月21日11面「パ・リーグ 6球団制ピンチ 西鉄、解散の非常事態 頼みの買い手 キャンセル」読売新聞縮刷版1972年10月p729</ref>。
** 東映のオーナーの[[大川毅]]が午後、東映不動産にて記者会見し球団の身売りの意向を明らかにした<ref>読売新聞1972年10月21日11面「東映も身売り」読売新聞縮刷版1972年10月p729</ref>。西鉄、東映と身売りが表面化し、パ・リーグの存続が危ぶまれる事態となる。
*[[10月21日]] - パイオニアの社長の[[石塚庸三]]が午後、赤坂にある中村事務所を訪れ、中村から打診されていたパイオニアによる東映の買収の話を断ることを伝える<ref>日本経済新聞1972年10月21日夕刊11面「パイオニア、東映買収断る」日本経済新聞縮刷版1972年10月p759</ref>。
* [[10月28日]]
** [[1972年の日本シリーズ|日本シリーズ]]の第5戦が西宮球場で行われ、巨人が阪急に8対3で勝利し、4勝1敗で日本シリーズ8年連続優勝<ref>読売新聞1972年10月29日1面「巨人が八年連続日本一」読売新聞縮刷版1972年10月p1009</ref>。
** 西鉄はロッテのオーナーの[[中村長芳]]が買収することになり、球団譲渡調印が福岡市内の西鉄グランドホテルにて午後3時より行われる<ref>読売新聞1972年10月29日11面「新ライオンズ誕生 稲尾監督、就任を受諾」読売新聞縮刷版1972年10月p1019</ref>。
* [[10月29日]]
** 最優秀選手にセ・リーグは巨人の[[堀内恒夫]]、パ・リーグは[[福本豊]]が選出される。
** 最優秀新人にセ・リーグはヤクルトの安田猛、パ・リーグは西鉄の[[加藤初]]が選出される。
 
=== 11月 ===
* [[11月1日]] - 阪急は[[ダリル・スペンサー]]選手兼守備コーチの退団を発表し、自由契約とした。
* [[11月2日]] - 阪神は監督兼選手の村山実が現役引退したと発表<ref>日本経済新聞1972年11月3日20面「『11』を永久欠番に 村山、阪神を正式に退団」日本経済新聞1972年11月p96</ref>。
* [[11月9日]] - パ・リーグ理事会が開かれ、来季より前後期の2シーズン制となり、プレーオフの導入を決める<ref>朝日新聞1972年11月10日17面「来季から2シーズン制 パリーグ」縮刷版p325</ref>。
p325</ref>。
* [[11月10日]] - ロッテの[[大沢啓二]]監督が球団と話し合い、大沢の退団が決まる。大沢と球団は75年までの5年契約を結んでおり契約途中の退団であったため球団が残り3年分の年俸を支払う。
* [[11月14日]] - 大洋監督にこの年監督代行を務めた青田昇が正式就任。
* [[11月17日]] - ロッテは錦糸町のロッテ会館で[[金田正一]]の監督就任の会見。
* [[11月18日]] - 平和台球場にて西鉄対巨人のオープン戦が行われ、西鉄として最後の試合を行う。
* [[11月22日]] - [[東京スタジアム (野球場)|東京球場]]のロッテへの買取交渉がこの日までに決裂し、同球場の閉鎖が決定する。
* 11月22日 - 大洋は[[横浜市]]に対し、本拠地を移転することを申し入れる。
* [[11月30日]] - 南海は[[岡本伊三美]]二軍監督が一軍監督の[[野村克也]]との指導方針の対立から、球団に辞表を提出し受理される。
 
=== 12月 ===
* [[12月8日]] - この年まで西鉄に在籍していた[[榎本喜八]]の任意引退が太平洋より発表。引退に関する榎本の会見やコメントはなく、球団社長は「もはや太平洋に必要などしない」とコメント。
* [[12月11日]] - NPBのプロ野球実行委員会は[[プロ野球地域保護権|フランチャイズ]]を1球団につき1[[都道府県]]とすることに改める。
* [[12月31日]] - 【MLB】[[ピッツバーグ・パイレーツ]][[ロベルト・クレメンテ]]が、故国のニカラグアで発生した大地震の救援物資を運ぶ飛行機でニカラグアに向かう途中、飛行機がカリブ海に墜落し死亡
 
== 誕生 ==
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== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
<references />
 
{{各年の野球}}