「第6SS装甲軍」の版間の差分

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1945/4/2に6th SS Panzer Armeeに編成変更があったわけではない
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だが、それでもSS第1装甲軍団は1945年2月に[[ハンガリー]]での[[ソビエト連邦|ソ連]]軍[[橋頭堡]]を攻撃する「南風」作戦に参加し、ソ連軍を撃退する事に成功した。東西から連合軍が迫り、ドイツ本国が危機に立たされた中で、ヒトラーはハンガリーにある小規模な[[油田]]保持の為にハンガリーで攻勢をかける事を決めた。「春の目覚め」作戦である。第6SS装甲軍は作戦前の偽装工作として各部隊に補充部隊や訓練部隊と言う偽の名称を付け、ハンガリーへ向かった。
 
[[春の目覚め作戦]]は3月6日から始まった。しかし雪解けの泥によって戦車や車輌の移動速度が鈍ったこと、ソ連軍も動きを察知して防御を固めていたことから、ドイツ軍の進撃は遅々として進まず、9日後の15日には幅50キロ、縦深300キロを確保した時点で作戦を中断した。こうしてドイツ最後の大規模攻勢は失敗した。ヒトラーはこの失敗に激怒して、自身の名を冠する第1SS装甲師団の兵員から軍服の左袖の[[袖腕章]]「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー」の兵士から軍服の左袖の[[袖腕章]]を取り外せと命じているが、ディートリヒは取り合わなかったという。大戦末期になると、ヒトラーに忠誠を誓ったSSもヒトラーを見限り始めていたが、この最中の4月2日、国防軍から武装SSへ移籍され、第6SS装甲軍となった
 
第6SS装甲軍はハンガリーから撤退し、[[オーストリア]]で防戦を展開しつつ西へ向かった。5月8日から所属師団が米軍に降伏し、翌9日には創設から司令官を務めたディートリヒが米軍に降伏し、第6SS装甲軍はその歴史に幕を下ろしたのである。