「松波庄五郎」の版間の差分

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勘九郎(庄五郎)はその武芸と才覚で次第に頭角を現わし、土岐守護の次男である[[土岐頼芸]]の信頼を得るに至った。頼芸が兄[[土岐頼武|政頼]](頼武)との家督相続に敗れると、勘九郎(庄五郎)は密かに策を講じ、[[大永]]7年([[1527年]])8月、政頼を革手城に急襲して越前へ追いやり、頼芸の守護補任に大きく貢献した。
 
公卿[[三条西実隆]]の日記に、天文2年([[1533年]])に道三の父長井豊後死去し病になったとする記述がり、る。庄五郎の跡は長井豊後名乗っていた可能性があり、その場合没年が天文2年以降となり、斉藤道三(長井規秀(道三)の初見文書天文2年であることと合致するとの指摘がされている。<ref>但し、位牌では享禄年間に没したことになって</ref>
 
== 脚注 ==
 
== 参考文献 ==
* 『美濃国諸旧記・濃陽諸士伝記』 (黒川真道編) 国史研究会 1915年
* 『斎藤道三と義龍・龍興 戦国美濃の下克上』  [[横山住雄]] [[戎光祥出版]] 2015年
== 関連作品 ==
=== 小説 ===
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