「信仰主義」の版間の差分

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* {{仮リンク|主観主義|en|Subjectivism}}
*: 我々の知識は主観的であり、客観的な真理は存在しない。
 
===テルトゥリアヌス「不合理なるがゆえに我信ず」===
''Credo quia absurdum'' ([[英語|英]]:I believe because it is absurd [[日本語|日]]:不合理なるがゆえに我信ず)という言葉は、しばしば[[テルトゥリアヌス]]のものであるとされる。しかしこれは、テルトゥリアヌスの''De Carne Christi'' ([[英語|英]]:On the Flesh of Christ)という書からの誤った引用であると考えられる。<ref>{{Cite book|title= Beyond Fideism: Negotiable Religious Identities| url= http://books.google.com/books?id=tyTSs_dqwkcC | publisher= Ashgate| year= 2010| first = Olli-Pekka | last = Vainio| page= 25 | series = Transcending boundaries in philosophy and theology | ISBN = 978-1-40940679-2}}</ref>テルトゥリアヌスが実際にDCC 5で記したことは、「......神の子は死んだ。それは信じるほかない、なぜなら、それは不合理であるからだ。」<ref>{{citation | url = http://www.newadvent.org/fathers/0315.htm | last = Tertullian | publisher = New Advent | title = On the Flesh of Christ | series = Fathers}}.</ref>
 
しかしながらこれは、信仰主義の立場から述べられたものではない。テルトゥリアヌスは知的傲慢や哲学の悪用を批判していたが、同時に、信仰を守るためには理性が有用であると信じていたためである。 {{Sfn | Amesbury | 2005}}<ref>{{cite book| title= Tertullian, First Theologian of the West| first =Eric | last = Osborn | publisher=Cambridge University Press|year=2003|page= 28}}</ref>
 
===パスカルと信仰主義===
[[File:Blaise Pascal Versailles.JPG|thumb|upright|[[パスカル]]]]
[[パスカル]]によっても、信仰主義が唱えられた。パスカルは[[無神論]]の考えを取り入れ、神への信仰は、潜在的な報奨を持ち合わせた無償の選択であるとみなした。{{Sfn | Geisler | 1976 | p = 49}} パスカルは神が存在するかどうかは問題にせず、神の存在を真実であると想定することに価値があるかどうかについて述べた。<br />
無論、パスカルの命題は特定の神に制限されたものではないが、彼自身はキリスト教の神を前提としていた。以下、そのことが述べられている文章を、彼の著作である[[パンセ]]より引用する。
 
{{Quote |信仰の理由を説明できないからといって、それで一体誰がキリスト教徒を非難できるというのか。キリスト教徒が自らの信仰を事細かに説明したというのに、人々はそれを"馬鹿げている" ([[ラテン語|羅]]:''stultitiam'' [[英語|英]]:foolishness)と言う。証明できないからといって、不平をこぼすのか。もしキリスト教徒がそれを説明できてしまうなら、彼らはたちまち信仰を失うだろう。彼らが思慮分別のあることを示すのは、信仰が証明できないものであるからだ。 | ''パンセ'', nº 233}}
 
パスカルはさらに、神の存在を示す様々な証明に関して、見当違いであるとして異議を唱えた。もし証明が正しいとしても、証明のために仮定された存在が伝統的に信仰対象であった神とそぐわず、それらは神の啓示による宗教ではなく、[[理神論]]へとつながってしまうのである。<ref>{{Citation | title = Pensées | last = Pascal | first = Blaise | language = French | trans_title = Thoughts | publisher = Charles Louandre | place = Paris | year = 1854 | page = 40}}.</ref>
 
== 参考文献 ==
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