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==逸話==
[[File:Kichiemon Nakamura I as Takebe Genzō.jpg|thumb|left|200px|『菅原伝授手習鑑』の<br />武部源蔵]]
*熱演型でどんな役でも懸命に演じたので舞台では唾がよく飛んだという。
 
*吉右衛門には跡継ぎがいなかった。そこで一人娘の正子は[[松本幸四郎 (8代目)|八代目松本幸四郎]]に嫁ぐ際、父に「男の子を二人は産んで、そのうちの一人に吉右衛門の名を継がせます」と約束したところ、果してその通りに男子ふたりを授かった。長男が父方の「幸四郎」をついだ[[松本幸四郎 (9代目)|九代目松本幸四郎]]、次男が母方の「吉右衛門」を継いだ当代の[[中村吉右衛門 (2代目)|二代目中村吉右衛門]]である。
*正子ははじめ男の子として育てられたが、[[初潮]]が出たとき、吉右衛門は「正子に限ってそんなことがあってたまるか。」と激怒した。
 
*[[昭和天皇]]の初めての天覧歌舞伎になるという、名人の名高い舞台に選ばれている。
 
*[[山田風太郎]]の著書・『[[人間臨終図巻]]』によると、吉右衛門は医者好きで、ちょっと[[風邪]]をひいただけでも「医者を呼べ」と大騒ぎし、挙句の果てには自身の主治医の家の隣に引っ越したほどであった。そのため、[[梨園]]では一時期、ちょっとした風邪等の軽い病気に罹ると、「吉右衛門になった」という隠語が使われたといわれる。<!--
*上記のことから、初代吉右衛門は神経質な人物であったことが伺え、後年、[[尾上辰之助 (初代)|初代尾上辰之助]]の気質を、父の[[尾上松緑 (2代目)|二代目尾上松緑]]は「性格は(初代)吉右衛門にそっくりだ」と言わしめるほどであった。--><!-- これはむしろ松緑についての記事内容かと -->
<!--*北海道巡業で吉右衛門は生まれて初めて飛行機に乗ったが、機中で目をつぶり「南無妙法蓮華経」を唱え続けていた。付き添っていた娘婿の松本白鸚は清正のようだと思ったという。--><!-- 念仏と清正の関係は? -->
*2006年([[平成]]18年)9月、初代吉右衛門生誕120年を記念して、孫の二代目中村吉右衛門や九代目松本幸四郎らによって初めて'''秀山祭'''が催された。「秀山」は初代吉右衛門の[[俳名]]にちなんだもので、第1回は盛況のうちに成功を納め、以後[[歌舞伎座]]九月公演の定番となった。
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== 関連項目 ==
{{Commonscat|Kichiemon Nakamura I}}
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