「松本善明」の版間の差分

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**松本が、[[松川事件]]の被告側弁護団の一員として、[[司法修習生]]ながら活動していた[[1954年]](昭和29年)頃、身辺で奇怪な事件が頻発する。同年1月に自宅が荒され、金品は取らずに友人が思想上の考えを綴って松本に宛てた書状1通が盗まれた。その翌日から2週間ほど、松本と妻の[[いわさきちひろ]]は、外出のたびに数人の男達に尾行される。さらに2月には松本家の住み込みの家事手伝いの女性(当時21歳)が、買物途中3人連れの男達に[[拉致]]される。監禁場所で女性は、松本夫妻の交友関係について尋問されるが、隙を見て脱出、[[西武新宿線]][[下落合駅]]に辿り付き、松本宅へ逃げ戻った。監禁場所の捜索がおこなわれたものの、場所の特定には至らなかった。その後、この女性は体調を崩し3月に大阪の病院に入院するが、2週間後の4月に変死する。松本らが病床記録を確認すると、[[3月26日]]午後から翌日の記録だけが空欄になっていたという。
**[[1958年]](昭和33年)、松本宛に松川事件の真犯人を名乗る人物から匿名の告白文が届いた。そこには同事件で[[起訴]]された被告人らは無実であり、真の実行犯は自分を含め7人おり、近いうちに[[自首]]すると綴られていた。しかし誰も出頭することはなかった<ref>斎藤茂男「松川事件はなぜ起きたか」『夢追い人よ:斉藤茂男取材ノート1』築地書館、1989年。ISBN 4-8067-5669-5</ref>。
**[[中曽根康弘]][[首相]]当時、[[国会対策委員長]]だった松本が[[予算委員会]]で質問に起った、松本の質問には答えずに自分の意見を言いつづける中曽根首相に対し、「時間泥棒(じかんどろぼう)」と発言するなど活躍非難した。
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*[[中曽根康弘]][[首相]]との国会討論
**中曽根首相当時、[[国会対策委員長]]だった松本が[[予算委員会]]で質問に起ったが、松本の質問には答えずに自分の意見を言いつづける中曽根首相に対し、「時間泥棒(じかんどろぼう)」と発言するなど活躍した。
* [[日本マクドナルド]]創業者の[[藤田田]]とは東大在学中より友人。
*[[2003年]](平成15年)に、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>。