「金星の太陽面通過」の版間の差分

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=== 17世紀 ===
[[ヨハネス・ケプラー]]は[[1631年]]の金星の日面通過を初めて予測した。これに基づいて[[ピエール・ガッサンディ]]は[[パリ]]から観測を行おうとした。しかしケプラーの予測は十分に正確ではなかったため、実際に現象が起こったのは予測より数時間遅かった。このため[[ヨーロッパ]]西部、特にパリでは太陽が既に沈んでいる時間帯の現象となり結局誰も観測できなかった<ref>{{Cite web|url=http://www.nao.rl.ac.uk/nao/transit/V_1631/ |title=http://www.nao.rl.ac.uk/nao/transit/V_1631/ |title=1631 TRANSIT of VENUS |author=HM Nautical Almanac Office |date=2007-11-05 |accessdate=2010-01-16}}</ref><ref>{{Cite web | url=http://www.phys.uu.nl/~vgent/venus/venustransitbib.htm| title=Transit of Venus Bibliography| author=Robert H. van Gent| accessdate=11 September 2009}}</ref>。
 
金星の日面通過の最初の観測は、[[1639年]][[12月4日]](当時イギリスで使われていた[[ユリウス暦]]では[[11月24日]])に[[エレミア・ホロックス]]によって彼の居住地であったMuch Hooleという[[イングランド]]の[[プレストン (イングランド)|プレストン]]の近くにある町で行われた。彼の友人であった[[ウィリアム・クラブトリー]]も、[[マンチェスター]]の近くの[[サルフォード]]([[:en:Salford|Salford]])から観測を行った。ケプラーは1631年と[[1761年]]の日面通過を予測していた。ホロックスは金星の軌道に関するケプラーの計算を修正し金星の日面通過は8年おきに対で起こることに気づき[[1639年]]の日面通過を予測したが、はっきりとした時間までは確信が無かった。しかし彼は一日中観測していた結果、幸運にも太陽を覆っていた雲が日没の僅か1時間半前に晴れたため観測に成功した。しかしホロックスの観測結果は、彼が亡くなったずっと後の[[1661年]]まで出版されなかった<ref name="UCL-book">{{Cite book|title=Jeremiah Horrocks - young genius and first Venus transit observer|author= Paul Marston|year=2004|publisher=University of Central Lancashire|pages=14–37}}</ref>。いずれにしろ、彼が見積もった太陽系の大きさは実際の大きさの半分程度だった。
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