「花森安治」の版間の差分

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豪放な性格、反骨精神と奇矯ながら、真摯な行動でも知られ、数々の逸話を残す。おかっぱ頭や[[スカート]]姿を貫いたのもその一端である<ref>ある婦人代議士が花森と対談して、さいごまで女だと思いこみ、意気投合して、「おたがい、女性のためにがんばりましょう」と握手までして帰った、という話もある。(酒井寛『花森安治の仕事』暮しの手帖社pp.154-155)</ref><ref>毎日新聞の新春企画で大石ヨシエ代議士と対談した際のエピソードとされている(戸板康二『ちょっといい話』文藝春秋pp.81-82)。</ref>。
 
[[1949年]]から、[[大日本麦酒]]の会社分割で発足した朝日麦酒(後の[[アサヒビール]]、法人としては現在の[[アサヒグループホールディングス]])広報部の要請で同社の広告クリエイターとして務める。アサヒビールの[[キャッチコピー]]からデザイン、レイアウトを一手で引き受け、「'''一番うまいアサヒビール'''」や「'''ビールといえば[[吾妻橋 (墨田区)|吾妻橋]]'''<ref>当時のアサヒビール吾妻橋工場(現在は跡地にアサヒビール本社ビル、墨田区役所、[[リバーピア吾妻橋]]が立地。</ref>」などのキャッチコピーを世に送り出したことでも知られる
 
[[1972年]]には著書『一銭(正しくは金を略した字)五厘の旗』で第23回[[読売文学賞]]随筆・紀行賞を受賞。また同年『暮しの手帖』の活動により[[マグサイサイ賞|ラモン・マグサイサイ賞]]を受賞。