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[[1941年]][[11月10日]] - [[1942年]][[5月14日]]に存在した会派。[[東條内閣]]に協力的な[[翼賛議員同盟]]に対して不満を抱いた鳩山一郎が、同じ志を持つ議員とともに[[議会政治]]の復活を目指して<ref>読売新聞 2014年2月1日17面「昭和時代 第3部 第46回」</ref>会派結成を画策。
 
まず1941年8月2日に国勢調査会を結成し<ref name="昭和の政党394">『昭和の政党』、394頁。</ref>、国勢調査会を母体として同年11月10日に鳩山を会の代表として離脱者37名で結成した<ref name="昭和の政党394"/>。しかし、同交会所属議員で翌年の[[第21回衆議院議員総選挙]](通称:翼賛選挙)に出馬した者は全員翼賛政治体制協議会の非推薦候補だったため政府によって徹底的に妨害を受け<ref>『昭和の政党』文庫版 昭和の歴史 第6巻([[小学館]]1988年[[粟屋憲太郎]]) 、394-395頁。</ref>、当選者はわずか9名に終わり<ref name="昭和の政党395">『昭和の政党』、395頁。</ref>、選挙後の5月14日に新たに発足した[[翼賛政治会]]へと強制的に吸収統合される形で解散し。同交会は解散後親睦団体の後楽会に衣替えし<ref name="昭和の政党395"/>、さらに思斉会と改名した<ref>『昭和の政党』、396頁。</ref>
 
37名中33名は[[反軍演説]]による[[斎藤隆夫]][[除名]]に反対または[[棄権]]([[欠席]])している。