「黒いチャンネル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
3行目:
『'''黒いチャンネル'''』(くろい・チャンネル (Der schwarze Kanal))は、[[ドイツ民主共和国]](旧東ドイツ)の国営放送だった[[ドイツテレビジョン放送]]が制作した、[[ドイツ連邦共和国]](旧西ドイツ)のテレビ報道を[[風刺]]した[[プロパガンダ]][[報道番組]]である。[[1960年]]から[[1989年]]放送。
 
同番組は、旧東ドイツの[[ジャーナリスト]]であった[[:w:De:Karl-Eduard von Schnitzler|ケール・エドワルド・フォン・シュニッツラー]]([[1915年]][[4月25日]]-[[2001年]][[9月20日]] 享年86)が[[司会]]を担当し、当時の西ドイツにあった[[ドイツ公共放送連盟|ARD(西ドイツ公共放送連盟)]]・[[第2ドイツテレビ|ZDF(西ドイツ第2公共テレビ)]](これらは[[ドイツ再統一|統一後]]も東ドイツの放送局を吸収し現存)で放送された、西ドイツなど、いわゆる[[西側諸国]]についての世相を報道した内容について、シュニッツラーが徹底的に批判・誹謗中傷を加えて解説を行っていた。
 
1989年の[[ベルリンの壁崩壊]]と[[ライプチヒ]]でのシュニッツラー解任を要求する[[デモ行進]]を受けてこの番組は打ち切られた。